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【学校・校則】子どもたちはコロナ禍を生き抜く「考える力」を育めているか

第89回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

■必要なのは自分で考える力

 それでも校則を問題だとする声は増えており、「ブラック校則」なる言葉も出回っている。それに黙っているわけにもいかなくなったのか、今年6月8日に文科省は「校則の見直し等に関する取組事例」という事務連絡文書を各都道府県教育委員会などに宛てて出している。これをきっかけに、校則の見直しが動き出している。
 その文書には、「昨今の報道等においては,学校における校則の内容や校則に基づく指導に関し,一部の事案において,必要かつ合理的な範囲を逸脱しているのではないかといった旨の指摘もなされています」とある。
 ただし、校則を否定する気は毛頭ないようだ。文書は次のように続く。

「校則は、学校が教育目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内において定められるものです。児童生徒が心身の発達の過程にあることや、学校が集団生活の場であることなどから、学校には一定のきまりが必要です。また,学校教育において,社会規範の遵守について適切な指導を行うことは極めて重要なことであり、校則は教育的意義を有しています」

 あくまで「合理的な範囲を逸脱している」校則の見直しを求めているにすぎない。しかし「合理的」の範疇は曖昧なため、ブラック校則が完全に撤廃されるとは思えない。
 生徒を拘束する校則が、学校から消えて無くなることはないようだ。そして、校則に拘束されている生活が子どもたちにとっては日常になっている。校則は、学校における法律なのである。校則で靴下が白と決められていれば、赤い靴下で登校したくても白で行く。

 教員も、校則によって子どもたちを指導する。髪の色が黒でなければならない理由を説明できなくても、「校則で決まっているから」と、生まれつきの茶色っぽい髪を黒に強制的に染めさせようとしてしまうのだ。
 そういった環境で育ってきた子どもたちが、やって良いことと悪いことの判断を校則を基準に判断するようになっても不思議ではない。

 緊急事態宣言では、外出を法的に禁じているわけではない。外出の自粛を求めているにすぎない。外出するかどうか、必要なのかどうか、急ぐ用事なのかどうか、自分で判断することが求められている
 校則が日常で、しかも細々と決められている校則にしたがって学校生活を送ってきた若者たちは、自分で考えるよりも、「校則(法律)で禁じられているかどうか」を優先するようになっているのかもしれない。感染者数が増え、緊急事態宣言が延長されても、「法律で禁じられていないから外出する」と答える若者はいなくならないかもしれない。
 これは、学校教育の成果でもある。

 ブラック校則の内容の見直しは進んでいくかもしれないが、本当に必要なことは校則で拘束されることに慣れきってしまい、校則や法律で禁じられているかどうかでしか動けない日本の若者の現状を変えることなのかもしれない。

 

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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