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伊賀から伊勢へ⑧鳥羽城(壱)

季節と時節でつづる戦国おりおり第390回

 以前、当ブログで兵庫県三田市の九鬼氏城跡とお墓を紹介しました。

/articles/-/10243 あたりですね。

 今回は、その九鬼氏が三田に移される以前本拠としていた、鳥羽城を散策してみます。

 松坂城から車でだいたい1時間弱東へ。鳥羽市役所が見えると、その裏(東)にある小山が鳥羽城跡です。

 現在城山公園となっている城跡のふもとには大山祇神社が鎮座しています。さすが、水軍の将・九鬼氏らしく瀬戸内・大三島の海の神を大切にしていたのか!と思いますが、伝承では山の上にあった神社をふもとに移したため祟りにあったということです(笑)。なんじゃそりゃ。

 

 東側(海側)から見た鳥羽城正面。いかがですか、この幾重にも重なる段々に積み重ねられた石垣。壮観ですね。

 最下段は現在の市役所や文化会館を含む三の丸、そこから二の丸を経て本丸に至り、天守も備えた大城でした。文禄3年(1594)の築城当時、城主の九鬼嘉隆は朝鮮出陣の水軍を率いる立場で、鳥羽や伊勢志摩の水軍はすべてその統率下にあり、これだけ見事な城を造る圧倒的な力を持っていたわけです。

 

 三の丸広場の入り口は、このように石垣が復元され、九鬼家の「左三つ巴」紋の幕があしらわれています。観光ガイドも置いてあって、なかなか気が利いていますよ。

 

 上から見た段々石垣。山の尾根を切り、堀をうがって、城を出現させた嘉隆の満足そうな顔が見えるようです。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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