天守台のすぐ下、きたい丸への通路(帯曲輪)を見下ろす敵見櫓跡。通路に張り出す形で作られていますから、敵は狭まった通路を通過する前・横・後ろをすべてこの櫓にさらすことになり、攻撃されて甚大な損害を受けること必至。すばらしい設計です。

 

 そして、その奥に見えている一段高い石垣の部分が、天守台です。

 

 ここからは、松坂の市街地が一望にできます。かつて存在した三重五層の天守の上からは、さらに見事な景色が望めたことでしょう。でも、氏郷がその絶景を眺められたのは、わずか2年ほどなんですよね、天正18年(1590)、彼は会津に転封されますから。

 さて、城下の大手道を東に歩を進めてみましょう。少し北に入ると有名なすき焼き店「牛銀」があり、また本居宣長寓居跡がありますが、そのあたりは戦国テーマから外れるので割愛(ひと言だけ。牛銀最高!)。

 その1本東には伊勢街道が縦貫していますが、やはり昔の街道ですから、道自体は細いです。それに南面する形のまま残っているのが、三井家発祥地。

 

 のち江戸で越後屋(のちの三越と三井銀行の祖)を大成功させる三井高利が出た三井家の故地です。家伝によれば、近江六角氏の家臣だった三井氏は織田信長に敗れて伊勢の安濃津近くに逃れ、さらに松ヶ島に移ったといいます。

 伊勢松ヶ島に移された蒲生氏郷が松坂を開くのが天正16年(1588)ですから、そのとき氏郷について松坂に落ち着いたのでしょうか。その後商売をはじめて、のちの三井財閥につながる富商への道をここで歩んでいったわけです。