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徳川家康が実践した戦国一の食養生

戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑩】

■質実剛健な時代の終わり

 家康に仕えた大久保彦左衛門といえば、「天下のご意見番」として映画やドラマでおなじみです。三河出身の彦左衛門は家康とともに苦難を乗り越え、江戸幕府成立に力を尽くしました。太平の世にあっても麦の粥、焼いたイワシ、野菜がたっぷり入った豆味噌の味噌汁という、三河以来の質素な食事をつらぬき、80歳まで生きた頑固者です。

 ある日、かつての戦友で、大名になった井伊直政が病気になったと聞いた彦左衛門は、さっそく見舞いに行くと、小さな鰹節を差し出しました。驚く直政に彦左衛門はこう語りかけたそうです。

「病気になったのは苦しい時代を忘れ、ぜいたくをしているからだ。私は戦の非常食である鰹節をつねに持ち歩いている。ぜいたくは慎むべきだ」

 しかし、家康の死去にともない、古い時代は終わりを告げようとしていました。彦左衛門の嘆きをよそに、武士の食生活は大きく変わり始めていたのです。

 他の戦国武将より年下だった伊達政宗はこのころも健在で、幕府を支え、家康の孫である三代将軍家光を補佐しました。若いころは質素な戦国式の食事をしていた政宗ですが、天下が定まると大変な食通になり、みずから包丁をふるいました。

 

 目をさますと2時間かけて朝食の献立を考えます。一日二食なので朝食の時間が遅いのです。ある朝のメニューがこちら。

 焼いた赤貝、ふくさ汁、ご飯、ヒバリの照り焼き、鮭のなれ寿司、大根の味噌漬け、コノワタ、栗と里芋

 ヒバリは鳥のヒバリで、ふくさ汁は味噌汁です。ここでは仙台味噌と京都の合わせ味噌を使うよう指示されています。具はキジの肉と豆腐、青菜でした。コノワタはナマコの腸で、これを肴に酒を飲み、栗と里芋は簡単な和菓子にして食べたのかもしれません。

 将軍家光を仙台藩の江戸屋敷に招いた際には、全国各地の美味、珍味を取りそろえ、南蛮渡来の白砂糖で作った菓子まで添えた豪華な献立をすべて考案しました。政宗自身が味見して、お膳を運んだと伝えられています。

 そんなころ、政宗に長年付き従った重臣が、豆ご飯、イワシの塩焼き、里芋と大根の味噌汁という、政宗が若いころ好んで食べた食事をわざわざ作ってもてなしたことがありました。政宗は食べはしたものの、城に帰ってから他の家臣に、「粗末な食事が出てきた」と語ったそうです。

 口がおごったというよりは、食べる目的が変わったということでしょう。食べて体を作る時代から、食べて楽しむ時代、食を文化とする時代になったのです。しかし、この変化が、それまで少なかった病気の急激な増加を招くことになりました。

(連載第11回へつづく)

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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