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徳川家康が実践した戦国一の食養生

戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑩】

「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。彼女の著書は刊行されるや常にベストセラーとなり、いま最も注目されている内科医にして作家である。「日本人はこれまで一体どんな病気になり、何を食べてきたか」「長寿を実現するにはどんな食事が大事なのか」日本人誕生から今日までの「食と生活」の歴史を振り返り、日本人に合った正しい健康食の奥義を解き明かす、著者渾身の大河連載がスタート! 日本人を長寿にした、壮大な「食と健康」の大河ロマンをご堪能あれ。

■生活習慣に細心の注意を払ったのが徳川家康

 戦国最強とうたわれた信玄は、静岡の三方原で徳川家康を撃破して、いよいよ京を目指そうかというところで病に倒れました。死因は結核という説もありますが、おそらく胃がんで、53歳で亡くなりました。

 最大の脅威だった信玄の死によって、織田信長は天下統一に歩を進め、豊臣秀吉が天下を統一、1603年に徳川家康が新しい幕府を開きます。信長と秀吉は尾張、家康は三河の出身で、いずれも現在の愛知県です。

 三人は家臣や親族を全国に配置したため、江戸時代の大名家の5〜7割はこの地域にゆかりがあるといわれています。前田利家、柴田勝家、本多忠勝、加藤清正、池田輝政、福島正則、山内一豊など、数え上げればきりがありません。漫画になって人気を集めた前田慶次をはじめ、名だたる武将の多くがこの地域の生まれでした。

 

 出身地が同じとなれば、おそらく武将たちはよく似たものを食べていたことでしょう。そのなかで、健康で長生きすることこそ天下取りの鍵と考え、食生活を含む生活習慣に細心の注意を払ったのが徳川家康です。

 

 1100年ごろに大陸で編纂され、朝鮮出兵の際に宇喜多秀家が持ち帰った『和剤局方』という薬の処方集があります。家康はこの本を常に持ち歩き、立派な道具をそろえて薬の調合まで行っていました。江戸幕府がまとめた徳川家の記録『徳川実紀』に記載された家康の健康法を見てみましょう。

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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