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聖徳太子は宮を斑鳩の地へ移し王家側を選ぶ

聖徳太子の死にまつわる謎⑭

■上宮王家滅亡と聖徳太子暗殺の因果関係

「斑鳩寺」 推古天皇から360町歩を賜った播磨国揖保郡太子町鵤に、大和国斑鳩から移住した聖徳太子が建てたとされる。

 上宮王家滅亡と聖徳太子暗殺の因果関係蘇我馬子の朝廷独占の野望の手先として使われることを嫌った聖徳太子は、そののちに宮を斑鳩の地に移し、隠遁生活を始めたとされている。つまり、理想主義者・聖徳太子の主張は、蘇我氏という壁にはね返されてしまい、失意のなか聖徳太子は死を迎えたということになる。

 結果的には、聖徳太子は馬子の期待をすべて裏切り、王家側の人間として生きたといえよう。したがって、馬子が聖徳太子を殺していた蓋然性は高い。なにしろ馬子にとって皇族を殺すことは、過去に崇峻天皇暗殺という前科があるぐらいだから、さほど抵抗はなかったはずだ。崇峻天皇は用明天皇没後、物部氏と結ぶ実兄・穴穂部皇子が馬子に倒されたのち即位したが、崇峻五年(五九二)、蘇我氏に敵意をもっていると疑われ、殺害されてしまったのだ。

 

『日本書紀』皇極元年(六四)二月の条に、上宮大娘姫王(太子の娘)が蘇我氏 の独裁を非難して次のように語ったという。 

「天にふたつの日(太陽)がないのと同じように、国にはふたつの王はいないはずだ。 それなのに、蘇我臣はどういう理由で上宮王家の土地と民を勝手に使ってしまうのか」

 この記述は、太子の死後、蘇我氏が聖徳太子の所有していた土地に食指をのばしていたらしいことを端的に伝えている。 

 さらに、蘇我氏が疑われるもうひとつの理由は、何といっても馬子の孫・入鹿が無抵抗の上宮王家を斑鳩宮(現在の法隆寺の東隣にある東院伽藍)に追いつめ、全滅させてしまったからである。ここに太子の子孫は根絶やしにされてしまったとされている。

 聖者の子であり、しかも父・聖徳太子に勝るとも劣らない正義漢であったといわれる山背大兄王を抹殺してしまった蘇我氏。この事件があるからこそ、誰もが太子暗殺の重要参考人として、まっさきに蘇我一族を思い浮かべるのだろう。

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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