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暴君・武烈天皇後を見据えた蘇我氏の力で鎮静化した朝廷

聖徳太子の死にまつわる謎⑫

■容疑者は誰か① 蘇我氏の場合

武烈天皇伝『大東史略 : 訓蒙絵入. 巻之3』平井正 著(誠之堂)より 国立国会図書館蔵

 この山片蟠桃による聖徳太子暗殺説が、今から約200年前も前から存在していたことは、まさに瞠目に値するものである。

 しかし、その犯人が蘇我馬子であると即座に決めつけるのは禁物だ。なにしろ山片の主張はかなり偏見に満ちたものだからだ。なぜかというと、江戸時代の国学隆盛の風潮のなか、神道至上主義ともいえる色メガネをかけて、仏教徒・聖徳太子と蘇我馬子両者に対する批判の延長線上に飛び出した感情的な推論だからである。

 たとえば、前出の『夢ノ代』のなかで、山片は次のように述べている。

「太子、釈迦ノ為ニ忠ナリトイヘドモ、我国家ノ為ニ末代ノ害ヲ残シ、不忠・不孝・不智・ 不仁・不義・不礼・不信ノ罪道ル処ナカルベシ(中略)太子ノ心、天位ヲ望ムニアリテ、仏法興隆及ビ天下ノ為ニハアラズ」

 

 結局、山片は聖徳太子を権力欲にとりつかれた亡国の徒とみなし、聖徳太子が仏教を広めたのは天下のためではなく、天位を望んだせいなのだと、個人攻撃している。

 したがって、聖徳太子暗殺説そのものを支持することはできても、その真相に関しては、より客観的に調べる必要があるのはいうまでもない。

  そこでまず、聖徳太子暗殺の容疑者を洗い出してみよう。 そもそも私が、太子暗殺説に興味を持ったきっかけは、太子に殺意を抱いていた可能性のある人物があまりにも大勢いたためである。

 そのなかでも、何といっても最初に疑わしいのは蘇我氏である。山片が蘇我馬子を犯人とみなしたのも、当時の状況からみてもっとも可能性が高かったからだろう。

 そこで、通説に則した形で蘇我氏と聖徳太子の関係について考えてみよう。

「蘇我氏の活躍した6世紀から7世紀にかけてのヤマト朝廷は、まさに動乱の時代であった。暴君・武烈天皇(在位499~506年)の登場で国内は乱れ、しかも武烈に男子がなかったため、武烈の死後、朝廷は大いに動揺していた。

 この混乱した状況を鎮静させるべく担ぎあげられたのが、応神天皇五世の孫という血縁的には多少難のある、北陸地方出身の継体天皇であった。

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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