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井上ひさし氏の娘が父に「配達されない手紙」を書く理由

悲しみを超えるたった一つの覚悟

作家・井上ひさし氏と評論家・西舘好子さんの娘である井上麻矢さん。彼女は嫌なことがあると、いないはずの父に手紙を書くのだという。そうして彼女は複雑だった家庭環境、つらかった過去とコミュニケーションしようとしているのかもしれない。母・西舘好子さんとの共著『女にとって夫とはなんだろうか』から紹介する。

■いないはずの「父への手紙」

 今、私は何か本当に嫌なことがあると、いないはずの父に手紙を書く。この習慣はもう五年ぐらい経つだろうか。「こんなことがあるからぜひ答えを欲しい」、「こんなことがあるからどうにかしてほしい」と配達されない手紙を自分の机の後ろに書いては投かんする。

 

 投かんしてももちろん翌日も手紙はそこにあるのだが、もしかしたら届いているのではないかと思うこともある。ある日突然問題がクリアになったこともあるので、真剣に父に手紙を書いているのだ。もう三〇〇通くらいになっている。

 もちろんお願いしたことがちゃんと叶った時は、お礼のお手紙も書いている。時にはなじるような手紙もある。それを書いている時は親が死んでいようがいまいが関係ない。ありのままを書いてそのまま封をしっかりと閉じてやっと前に進んでいるような気持ちだ。

 私の中で手紙というのは特別なものだ。手紙を書くことで自分の思いを伝えることは人間の基本だと思うから。だからいつもどこでも手紙を書くことを忘れない。

 そういえば忙しかった母に毎日手紙を書いていた。小学校三年生から六年生の間に。いや、もっと大きくなるまで母が遅くまで仕事の時は必ずそれを母に届けた。

「世界で一番大好きなママへ」と書かれた手紙の中には、今日あったこと、どのくらいママのことが好きかということ、ママも仕事を頑張ってほしいということが書かれてあった。

 実はその頃、私は私で幼い中でもいろいろな悩みがあった。逆上がりができないこと、国語は得意なのに算数がまったくできないこと、男の子たちにいじめられること、学校が嫌いなこと、様々な悩みがあったのに、今ほど正直にそれを書くことができなかった。いつもいいことばかり書いては母に届けているので、母はきっと私が普通に学校生活を送っていると思っていただろう。

 

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井上 麻矢

いのうえ まや

1967年、東京・柳橋生まれ。株式会社「こまつ座」代表取締役社長。千葉県市川市で育ち、御茶ノ水の文化学院高等部英語科に入学。在学中に渡仏。パリで語学学校と陶器の絵付け学校に通う。帰国後、スポーツニッポン新聞東京本社勤務。次女の出産を機に退職し、様々な職を経験する。2009年7月よりこまつ座支配人、同年11月より代表取締役社長に就任。12 年、第三十七回菊田一夫演劇賞特別賞(こまつ座)、第四十七回紀伊國屋演劇賞団体賞(こまつ座)、イタリアのフランコ・エンリケツ賞(こまつ座)受賞。14年、市川市民芸術文化奨励賞受賞。15年、父の井上ひさしから語られた珠玉の言葉77をまとめた『夜中の電話──父・井上ひさし最後の言葉』(集英社インターナショナル)、自身が企画した松竹映画の小説版『小説 母と暮せば』(山田洋次監督と共著、集英社)を連続刊行。17年、こまつ座が「きらめく星座」の成果により第七十二回文化庁芸術祭演劇部門大賞受賞(こまつ座)。西舘好子の娘。


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