旧警戒区域に作られた書店。店主・柳美里の無謀な挑戦 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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旧警戒区域に作られた書店。店主・柳美里の無謀な挑戦

文芸評論家・榎本正樹氏が見た柳美里

■「フルハウス」は人と人をつなぐ

 本屋フルハウスは約2,000タイトルの本を並べた書店の形態を採っているが、人と人をつなぐ「ハブ」の機能が意図されている。開店にあたって、柳さんは各界の第一線で活躍されている24名の知人、友人に打診をし、各人が考えたテーマを元に20冊の選書をしてもらい、彼ら一人ひとりの手書きのメッセージを添えて販売するコーナーを立ち上げた。24名のお名前を以下に記させていただく。村山由佳、角田光代、佐藤弘夫、和合亮一、中村文則、小山田浩子、飯沢耕太郎、青山七恵、藤沢周、最相葉月、玄侑宗久、平田オリザ、山崎ナオコーラ、佐伯一麦、若松英輔、いしいしんじ、藤代冥砂、俵万智、前田司郎、丸山宗利、岩井俊二、城戸朱理、鎌田實、豊崎由美(敬称略)。あらゆるジャンルにわたる錚々たるメンバーである。24名による選書コーナーは、店の棚の半分近くを占め、フルハウスのメインコンテンツといってもいい佇まいになっている。24名の選書を見るだけでも、フルハウスを訪れる価値がある。

 厳選された1冊の本の背景には複数の本の存在がある。本と本はリンクによって結ばれている。書店とは、本と本をつなぐリンクの糸を可視化する場にほかならない。フルハウスでは、1冊の本の隣に、または上や下にどの本が並べられるべきなのかが熟慮されている。加えて、その本を選書した人物も選者として可視化される。その意味でフルハウスとは、人と人が、本と本が、本と人が束ねられた「一冊の巨きな本」のような存在であり、場所と言える。現在、開店記念イベントとして、選書を担当したメンバーをゲストに迎え、毎週土曜日にトークイベントが開催されている。地元の人だけでなく、日本中から参加者が来訪されているとのこと。この場所での出会いや体験が、個人と個人を結び、さらに大きなものへとつながっていくことを願ってやまない。

4月28日に行われた中村文則氏とのイベント。店主・柳美里が隣に座り、サイン会を取り仕切る。

 本屋フルハウスの開店は、フルハウス・プロジェクトの出発点に過ぎない。今年の10月には柳さんの自宅裏の敷地内にある倉庫を改装した小劇場「La MaMa ODAKA」がオープン予定である。柳美里といえば多くの人が小説家としての彼女をイメージするだろうが、柳さんは劇作から出発し、文学へと表現世界を拡げてきた作家である。東京キッドブラザース退団後、柳さんが単独で演劇ユニット「青春五月党」を立ち上げたのは1987年のこと。93年頃まで活動は続くが、それ以降は休眠状態で、小説家の仕事にシフトする。今秋、約25年ぶりに青春五月党の活動が再開され、自宅に設営された劇場で新作が上演される予定である。この企画が実現したなら、今年の演劇シーンを代表するトピックとして扱われることは確実であろう。

 さらに自宅前の敷地内にある現在はフリースペースになっている場所には、ブックカフェが開店する予定だ。すでに建築家・坂茂氏によって設計作業が行われており、資金調達の目処が立った段階で、自由に古本を読むことができるブックカフェがフルハウスに隣接する形でオープンする。敷地内には蔵もあり、改装を行ったのちバーとして活用されるとのこと。このように、柳さんの自宅敷地内を改装、拡張する形でプロジェクトは現在進行中である。その場所で生活する柳さんが、その場所から一次情報を発信する。いわば文化の「産地直送」がここで行われることになる。

 これまで小説家や劇作家が、自宅の一部を開放して、書店や劇場やカフェを運営・経営したという話を聞いたことがない。世界的に見ても、おそらく稀有な例であろう。私の記憶では、柳さんはこれまでの人生で、アルバイトやそれに類する仕事を一度もしたことがなかったはず(そうですよね、柳さん)。10代の頃から、柳さんは書くこと一本で生計を立ててきた。その柳さんが人生初の客商売をする。長い人生において、そういうことは起こりうるのだ。フルハウス開店に際して、柳さんは3種類の異なる肩書きの名刺を作った。1枚目はフルハウス店長の名刺。2枚目は青春五月党の主宰者の名刺。そして、La MaMa ODAKAの支配人としての名刺。今後、柳さんは小説家としての仕事に加え、これら3つの役職を果たすことになる。私はこの3枚の名刺に、小高の地に根を下ろし、住民の一人として地域活動に従事する決意を固めた柳さんの覚悟を見る。

■無謀ではないかと思われることを貫徹する
 

ミリオンセラーの復刊が話題を呼ぶ選集第一巻。女優・斉藤由貴氏の解説もセンセーショナルだ。

 フルハウス・プロジェクトと並行してプランニングされたもう一つの企画。それが『柳美里 自選作品集』だ。この4月に第1巻『永在する死と生』が刊行された。『永在する死と生』には、柳さんの代表作『命』(小学館、00・6)、『魂』(同、01・2)、『生』(同、01・9)『声』(同、02・5)、いわゆる『命』四部作が収録されている。『命』四部作は単行本化の後、新潮文庫に収録されたが、現在は品切れ、または絶版状態にある。かつて一世を風靡した著作が書店に並べられず、中古でしか入手できない状態が長らく続いていた。『命』四部作以外にも、柳さんの著作の一部は、現在品切れ、あるいは絶版で、新刊本として入手不可能である。それは柳さんだけに限った話ではない。芥川賞、直木賞受賞クラスの作家であったとしても、その著作が恒久的に刊行される保証はない。膨大な新刊書が刊行される一方で、売れ行きが落ちた本を税務上や管理上の理由によって裁断し、廃棄するという自転車操業的な経営方針が、出版社自体を追いつめ、同時に文化破壊をもたらしている。

 いまこの時代に全集を出すことは無謀な行為である。企画ものの全集ではなく個人全集であればなおさらである。今年はまもなく講談社から『大江健三郎全小説』(全15巻)の刊行が開始されるが、あくまで全小説であって、エッセイや評論などを含んだ全集ではない。ノーベル文学賞を受賞した作家であっても、そして日本を代表する大手出版社が版元であっても、完全全集を企画することは難しい。個人全集は90年代を境に企画化されることがなくなった。全集には生前全集と没後全集の二つの形がある。生前全集はその作家が生きている間に出る全集なので、全集の刊行終了後に、その作家の新作が出る可能性がある。つまりその作家の全作品を網羅しえない点において完全ではない。

 今回採用されたのは、自選小説集というスタイルである。各作品を作品発表の時系列から切り離した上で、1巻ごとにテーマを設定し、新たな視点で編み直す。『柳美里 自選作品集』の刊行にあたって、私も編集協力という形でコミットさせていただいたが、柳さんや編集サイドと緊密にコミュニケーションをとりながら、各巻のテーマと収録作品を決めていった。最終的なテーマの文言や収録作品のセレクトの決定権は作者である柳さんに委ねられた。自選小説集ではなく自選作品集としたのは、『水辺のゆりかご』(角川書店、97・2)のようなエッセイとフィクションの中立的な立ち位置で書かれた作品が含まれていることへの配慮である。全6巻の構成によって、柳さんの代表作が読めるだけでなく、新たな視点で柳美里の作品群にアプローチしていただくことができるのではないかと思う。巻末には柳さんと関係のある方々による解説を付し、最終巻では全集としての価値をもたせるために年譜と解題を収録する予定である。一般的な全集の年譜と解題とは異なる趣向を凝らす予定なので、期してお待ちいただきたい。

『柳美里 自選作品集』の刊行は、版元のKKベストセラーズの全面的な理解と協力がなければ実現不可能な企画だった。柳さんとKKベストセラーズの出会いは、前述した『人生にはやらなくていいことがある』に遡ることができる。柳さんと担当編集者の運命的な出会いが引き継がれる形で、今回の企画は実現した。「新たなことへの挑戦」という意味では、いわゆる文芸出版社ではないKKベストセラーズにとってもチャレンジブルな試みであっただろうし、フルハウス・プロジェクトの一環として考えるのであれば、無謀であるかもしれない企画を初期動機を貫徹することで突破するその姿勢において、フルハウスの開店と『柳美里 自選作品集』の刊行の理念は通底している。

『柳美里 自選作品集』の刊行は出版社の企画のレベルで、フルハウスの開店は出版流通のレベルで、それぞれが閉塞状況にある出版環境への提言と触発の意味あいを含んでいる。自選作品集の各巻を順に揃えていくと、書棚に並べた背の部分にフルハウスの完成図が現れる仕掛けになっている。自選作品集が一冊一冊刊行されていくプロセスは、そのままフルハウス・プロジェクトがビルドされていくプロセスに重なっている。自選作品集の最終巻の刊行予定年月は2019年2月である。その頃、フルハウス・プロジェクトはどこまで進捗しているだろうか。

 現在進行形のこれらのプロジェクトは、多くの方に関心をもっていただくことが、すなわち力となる。有形無形のご支援をいただければ幸いである。

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榎本 正樹

えのもと まさき

文芸評論家

1962年3月18日生まれ、千葉県出身。文芸評論家。青山学院女子短期大学、法政大学、日本大学、東放学園専門学校非常勤講師。柳美里公式サイト「La Valse de Miri」ウェブマスター。主な著作に『Herstories 彼女たちの物語―21世紀女性作家10人インタビュー』(集英社)『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。全話完全解読』(双葉社)などがある。


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