自殺は倫理に背く行為なのか?~三島由紀夫が叱った現代日本
『日本人は豚になる~三島由紀夫の予言』より
■3人の「表現者」の自死
『C層の研究』を読んだ私の友人が言った。「これはまさに西部塾の空気そのものじゃないか!」と。
最初に断っておくが、私は西部塾とは関係ないし、西部邁との深い付き合いもなかった。晩年の三年間くらいは番組や酒の席に呼ばれたが、彼の本は何冊か読んではいるものの、人間性までは知らない。「西部邁ゼミナール」という番組の出演も断ってしまった。だから、西部を固く支持する人に対しても、批判的な人に対しても、どうこう言うつもりはない。
ただ、物書きの自殺について考えるときに、太宰、三島、西部を比較することにより見えてくるものはあると思う。
三島は太宰の自殺を「不純な動機」による演技の意識を伴ったものだと言いたいのだろうが、三島の自殺も演技の意識を伴ったものではないか。
当然、本人もそれを自覚していた。
三島は単純右翼のアホではない。自衛隊が決起に応じるとは考えてもいなかっただろう。仮に自衛隊が応じたとしても、その後のプランがあったわけではない。要するに、三島は世の中が嫌になってブチ切れたのだと思う。戦後社会の欺瞞に対する、一種の諌死(かんし)・憤死である。
一方、こういう言い方をすると失礼かもしれないが、西部の自殺は世の中に何の影響も及ぼさなかった。いろいろ嫌になったのは同じだろうが、最初から絶望している人間は絶望することはない。単に入院して病院で死ぬのが嫌だから、自殺したのだろう。
死の数年前に、西部が某雑誌に自殺について書いていた。
その後、偶然新宿のバーで西部の隣に座ったので、「西部さん、いつ死ぬんですか?」と聞くと、ニコニコ笑っていた。
この文章を書いていて思い出したのだが、たしか三島も見知らぬ高校生から「先生はいつ死ぬんですか」と聞かれて、動揺したらしい。
〈『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』より再構成〉
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