11月25日、三島由紀夫が割腹自殺する前に発した予言
『日本人は豚になる~三島由紀夫の予言』より
かつて安倍晋三は首相在任中にトランプ米大統領から、日米安全保障条約について「不公平だ」と繰り返し不満の表明を受けていたと暴露した。安倍は「(私は)内閣支持率を下げながら安全保障関連法を成立させた」と訴えたそうだが、2015年の安保関連法案を巡る騒動の際(当時はオバマ政権)、安倍は「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にない」「自衛隊のリスクが下がる」などと大法螺を吹いていた。もちろん、そんなわけはない。アメリカの要求に従い、属国への道を選択しただけだ。恥を失った国の末路はどうなるのか――。
本日11月25日は三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、割腹自殺を遂げた日だ。そして三島は今日の日本のだらしない姿を予言していた。作家適菜収氏が著書『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』でそのすべてを明らかにする。(2020年初出記事を再配信)
■「敵は俗衆だ」
三島は小説家の林房雄にこう言っている。
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大衆社会化については、僕が書いた「林房雄論」のなかでも言ったが、これから「敵は俗衆だ」ということを書いたことがありました。あの本を書いたときに予感としてあったのは、かなりいま現実に出てきましたけれどもね。これは、インダストリアリゼーションの必然的結果で、工業化の果てに、精神的空白なり荒廃がくるというのは、どこの国でも同じ現象だと思います。(「対話・日本人論」)
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その精神的空白を埋める努力は失敗した。
三島は左翼にも一般民衆にも絶望した。
「忠義」は枯野に野垂れ死にするだけだし、笑いものになり、狂人扱いされる。
三島は吉田松陰が《孤立して狂っているのではないかと疑われるほど精神が先
鋭化していくのを自覚したに違いない》と言う。
そして三島も「狂」の道へ足を踏み入れた。
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銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亘(わた)つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜(ほこ)りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起(た)ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪(ゆが)みを正すほかに道はないことがわかつているのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜(ぼうとく)の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。(「檄」)
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