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埼玉にも「霞ヶ関」があった。さらに深掘りするとその本拠地は…

埼玉地名の由来を歩く⑬

全国5位730万人もの人口を抱える埼玉県の歴史を地名で紐解く。地名の由来シリーズ最新刊『埼玉地名の由来』から、著者・谷川彰英が「霞ヶ関」の地名の由来を歩く。

▲東京 霞ヶ関

「霞ヶ関」は狭山市にあった!

 前回の東京の霞ヶ関説に対して、埼玉県側では、川越市の「霞ヶ関」が本来の霞ヶ関ではないかという説が立てられている。実は、埼玉県で東京の霞が関に対抗して主張しているというわけではなく、私が多少(大いに?)こだわって対比させているに過ぎない。

 さらにもう一つのこだわりを言うと、「ケ」を全角とするか半角とするかという問題がある。川越市の現在の町名「霞ケ関東」「霞ケ関北」は全角、駅名は「霞ヶ関」と半角になっている。歴史的に見れば半角のほうが古いとされるので、本書では現在の町名を除いて半角の「霞ヶ関」と表記する。

 まず、埼玉県川越市の「霞ケ関」の成立過程を整理してみる必要がある。

 ずっと昔から疑問に思っていたのは、東武東上線になぜ「霞ヶ関」という駅があるのかだった。「川越駅」の次が「川越市駅」、その次が「霞ヶ関駅」である。なぜ、川越市に「霞ヶ関」があるのかと疑問になりながら、その解明への手がかりを失っていた。

 川越の歴史に「霞ヶ関」が登場するのは、明治17年(1884)に地方制度の改革があり、高麗(こま)郡の「笠幡村」「安比奈(あいな)新田」「的場(まとば)村」「柏原村」の四村を合併して一村にしようという話になり、村名を柏原地区の小字の「霞ヶ関」とすることに決まったことに端を発している。

 ところが、明治22年(1889)全国に実施された町村制の施行に当たって、当の柏原村は「霞ヶ関」村から離脱して、現在は狭山市柏原になっている。いわば、霞ヶ関の本拠地は川越市ではなく、狭山市だということになる。

「笠幡村」「的場村」「安比奈新田」で構成された「霞ヶ関村」はそのまま高麗郡の村として存続していたが、昭和30年(1955)川越市に合併することになった。その結果「霞ヶ関」という地名は川越市のものとなり、そこから東武線の「霞ヶ関駅」が誕生したという経緯である。この駅は大正5年(19616)に何と「的場駅」として開業している! 「的場駅」と言えば、現在はJR川越線の駅で、「川越駅」からは「西川越駅」「的場駅」と続いている。

 東武線の元「的場駅」が「霞ヶ関駅」に改称されたのは昭和5年(1930)、現在のJR川越線の「的場駅」が開業したのは昭和15年(1940)のことである。

 こう見てくると、「霞ヶ関」という地名はもともと狭山市の「柏原」地区にあったことになり、現在川越市の所属と思われている「霞ケ関」という地名は、「霞ヶ関」という村が川越市に合併された結果生じたものということになる。

『埼玉地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。



 



 


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