能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【前編】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【前編】

ぶらり大人の廃線旅 第21回

穴水から東へ-意外に残る駅舎群

 輪島で借りたレンタカーで穴水駅に着くと、減少傾向が続く乗客数の推移と対照的にまだ新しい駅舎と立派な駅前広場に驚いた。取材が大相撲夏場所の前だったためか、穴水町出身の力士「遠藤関」を染め抜いた派手な幟が何本も翻っている。「石川県統計書」によれば平成8年(1996)に900人だった穴水駅の乗車数は平成27年(2015)現在135人にまで減っている。この間のさらなるモータリゼーションの進行もさることながら、平成13年(2001)の輪島方面、同17年の蛸島方面という相次ぐ廃止が大きく響いたに違いない。特に後者では廃止前年と翌年で359人から192人とほぼ半分近くまで減らしている。

 のと鉄道能登線はおおむね国道249号に沿っている。現役時代の5万分の1地形図を傍らに置き、当たり前だが線路の載っていないカーナビの表示を比較しながら進む。しかし国道ばかり走っていては併走する廃線に出会えないので、適宜脇道へ入るのが肝要だ。中居駅手前の集落に入って行くと、すぐに橋桁だけ撤去した架道橋の跡が見つかった。この中居こそ遠藤関の出身地だそうだ。穴水~鵜川間は昭和34年(1959)の開業だから私の生年と同じ。コンクリートは私よりさらに長生きするはずなので、実にもったいないことである。

中居駅跡。プラットホームはもちろん、待合室も残っている。

 国道に戻って少し進めば中居駅で、ホーム上には待合室も残っている。防犯を考えて建物類はすぐ撤去されるのが普通だが、能登線ではこの先の区間でも多くの駅舎や待合室が残っていた。廃止から12年あまり、草刈りしてレールを敷けばすぐにでも復活できそうな雰囲気である。待合室を覗くとさすがに時計は止まっていて、その隣をツタが這い上がっていた。

鹿波(かなみ)駅の近くに残る架道橋の橋台。安全上の理由で橋桁は撤去された。

 比良(ひら)駅あたりから国道とは離れ、並行道路がなくなるので海沿いに出る。能登島との間に挟まれた七尾北湾は波静かで交通量も格段に少なく、ゆっくり走れるのはありがたい。藪の中で近づけない鹿波(かなみ)駅はスルーして海沿いの曽良(そら)という漁村を通る。芭蕉と「奥の細道」に同行した門人の名と同じだが、静かな小さな浦であった。

急行停車駅だった甲(かぶと)駅では頑丈そうなブロック建ての駅舎が残っている。

 ほどなく甲(かぶと)駅で、現役時代は穴水駅を出て次の急行停車駅である。ブロック積みの駅舎が残っており、修繕すればまだ使えそうだ。待合室内は切符の自動販売機から観光ポスターまでそのままで、なぜか室内に掲げられっ放しの日の丸が寂しい。中の時刻表は「平成16年3月13日改正」とあり、もちろんこれが最後のダイヤ改正であった。金沢・津幡駅での連絡列車として記載してある上野発23時03分発の寝台特急「北陸」や同23時33分の急行「能登」が懐かしい。

次のページ続く「波の駅」をたどれば

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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