列車とバスを乗り継いで襟裳岬へ 日高本線の旅 後編 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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列車とバスを乗り継いで襟裳岬へ 日高本線の旅 後編

運休区間を行く

 2015年と2016年の度重なる災害によりJR日高本線の鵡川~様似間は不通になったまま年月が推移している。利用者が年々減少の一途をたどっていた赤字路線だけにJR北海道は復旧を断念。廃止を提案するものの沿線の自治体との協議も難航している。もっとも、運行再開の見込みは絶望的で、先行きは極めて厳しい。そんな日高本線の旅の思い出を綴ってみた。

日高の馬牧場にて

 日高本線の日高幌別駅から内陸へ送迎車で10分少々のところに「うらかわ優駿ビレッジAERU」はあった。広大な馬牧場内にリゾートホテル風の宿泊施設があり、2泊して中一日は乗馬体験や散策などでのんびり過ごすことができた。おとなしくてよく調教された馬だったので、安心して乗馬を楽しんだ。

 帰りの日の朝はあいにくの雨だった。送迎車で日高幌別駅まで戻る。到着ですと告げられて降りたのは郵便局の前。駅に横付けではないのかと残念に思ったら、何と郵便局と駅は同じ建物だった。よく見ると西幌別簡易郵便局・日高幌別駅と書いてはあるけれど、建物の入り口ドアには郵便局の表示しかないので、パッと見ただけでは駅とは思えない。中に入ると窓口があったので記念に入場券を買おうと思ったら、乗車券類は一切売っていないとのこと。窓口はあくまで郵便局であって、きっぷは車内でお求めくださいと言われてしまった。

 発車時間が近づいてきたのでホームに向かうけれど屋根は一切ない。雨が降っていたので、建物の軒先で待機した。定時になると、苫小牧方面から列車がゆっくりと姿を現した。1両のみのディーゼルカーでほどほどの混み方だった。

郵便局併設の日高幌別駅

  

郵便局併設の日高幌別駅

 荒れ地の向こうは海。川を渡り、牧場の脇を通り過ぎる。列車には目もくれず、馬が数頭戯れていた。鵜苫駅は北海道のローカル線でよく見かける貨物列車の車掌車の車体を改造した駅舎だ。青地に昆布やイカのイラストが描かれ楽し気な雰囲気である。ただし、乗り降りはなかった。

 次の西様似駅も車掌車の車体利用の駅だ。こちらはピンク色主体で先ほどの鵜苫駅と同じようなテイストのイラストが描かれている。どちらも地元の同じ中学校美術部の制作なので似たようなものとなったのであろう。

 しばらく山間部を走り、短いトンネルを抜けると小さな市街地が見えてきた。日高本線の終点様似駅だ。苫小牧駅から通しで乗れば3時間以上もかかる長旅は終わる。様似駅は、駅舎の脇にホームが一本あるだけのこじんまりとした終着駅だった。1本だけ側線があるものの使われているかどうかは分からない。2つの線路はホームのはずれで再び交わることはなく、2階建ての建物の前で途切れている。先ごろ廃止となった札沼線の新十津川駅のような終わり方だ。その彼方に聳えているのはアポイ岳であろう。

車掌車の車体を再利用した鵜苫駅舎

  

様似駅に到着

  

バスで襟裳岬へ

 古くは線路がさらに延びて襟裳岬に至り、大きくカーブしつつ北上して、すでに廃止となった広尾線とつないで帯広に至る構想もあった。広尾線とつながらないまでも、有数の観光地である襟裳岬付近まで線路が延びていたら、日高本線の運命は、あるいは変わっていたかもしれない。そんなことを考えつつ、様似駅前から襟裳岬へ向かうバスに乗り込んだ。国鉄バスの時代からのつばめのマークを踏襲したJR北海道バスである。

 バスは海岸に沿って快適に走る。悔しいけれど、道路状態は鉄路よりも遥かに良好である。険しかった日高山脈も次第になだらかになるとともに低くなっていく。様似駅前から30分ほどでえりも駅に到着。ただのバス停なのに駅を名乗っているところが不思議だ。一度も線路が敷かれたことはないけれど、とりあえずバスを走らせて列車が乗り入れてくる日を待っていた時代の名残であろうか?日高と十勝を結ぶという意味で日勝線と名付けられているのも鉄道に準じる扱いのように思われる。

 さらに20分ほど進むと、えりも岬のバス停に到着した。降りると風が吹きすさび、夏なのに肌寒かった。それでも、せっかくなので灯台や島倉千代子と森進一が歌った「襟裳岬」の歌碑を見て回った。最後は、強風を避けて観光施設「風の館」に向かう。中はさすがに快適でガラス張りの展望室から襟裳岬の突端を安易に眺めて過ごした。岩礁にアザラシがいるということで双眼鏡で確認した。

襟裳岬の歌碑

  

襟裳岬の岩礁

 この日は襟裳岬の旅館に宿泊し、翌日は再びバスと列車を乗り継いで苫小牧へ一気に戻った。それからもう12年もの歳月が流れている。再び日高本線の鵡川より先には列車に揺られて行けないだろうと思うと悲しい。お別れ運転をすることもなく消えていく路線。せめて過去の乗車を記すことで、いつまでも多くの人々の記憶の中で走っていてもらえればと思う。

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野田 隆

のだ たかし

1952年名古屋生まれ。日本旅行作家協会理事。早稲田大学大学院修了。 蒸気機関車D51を見て育った生まれつきの鉄道ファン。国内はもとよりヨーロッパの鉄道の旅に関する著書多数。近著に『ニッポンの「ざんねん」な鉄道』『シニア鉄道旅のすすめ』など。 ホームページ http://homepage3.nifty.com/nodatch/

 

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