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【京浜工業地帯】鶴見線の引込線の痕跡を訪ねて【前編】

ぶらり大人の廃線旅 第11回

「京浜工業地帯」という言葉に何を思い浮かべるだろうか。巨大な工場群に林立する煙突の煙、銀色のタンクや建物の間を這い回るおびただしい数のパイプ類。製品の積み卸しに活躍する恐竜を思わせるガントリークレーンと、そこに接岸する巨船。忙しく動き回るフォークリフトと出入りの大型トラック、制服姿の従業員たち、闇の中の煌々たる照明に浮かび上がった未来図のようにメタリックな工場群……。

 それらの風景の中に、以前なら必ず加わっていたのが鉄道の引込線であった。そこにはタンク車をはじめ多種多様な貨車が入換え用の小型機関車に牽かれて往来し、旗を持った係員が踏切を監視しながらゆっくり工場前の道路を横断していく。工業地帯であればどこでも見慣れた光景であったが、その後のモータリゼーションの進展で貨物の鉄道離れは進んでいった。石油タンク車を牽いた貨物列車がたまに現われはするが、網の目のように張り巡らされていた引込線-正式には専用線(または専用鉄道)は次々と姿を消していったのである。京浜工業地帯の歩みと軌を一にする臨港鉄道由来のJR鶴見線に沿って歩きながら、それらの引込線の痕跡を訪ねてみることにした。

 

鶴見駅の近くにある駅の廃墟-本山
 歩き始めはもちろん起点の鶴見駅である。JR京浜東北線のプラットホームの西側に鶴見線の乗り場が高架駅として別に存在するのは、戦争中の昭和18年(1943)まで私鉄の鶴見臨港鉄道であった名残だ。ドーム型の小私鉄風ターミナルを見上げつつ高架脇の道を歩けば、ほどなく曹洞宗の大本山、総持寺(そうじじ)の門前に至る。その本山(ほんざん)という名の高架駅が昭和17年(1942)まで存在していた。電車の運転席のすぐ後から見ているとホームの残骸が上下線の間にあってわかりやすいのだが、塞がれた駅入口らしき痕跡が今も総持寺架道橋の南側に認められた。

写真を拡大 鶴見臨港鉄道時代の昭和17年(1942)に廃止された本山駅。その入口と思われる場所は、総持寺架道橋の下にある。右手は曹洞宗の大本山・総持寺。 

  この架道橋から東へは「開かずの踏切」で有名な総持寺踏切があったが、今はすぐ北側に長い歩道橋ができて東海道本線の多くの線路をひと跨ぎできる。すぐに京急の高架をくぐるが、ここには昭和18年(1943)まで京浜電気鉄道(現京急)の総持寺駅があって、同駅を起点に鶴見臨港鉄道軌道線(元は海岸電気軌道)という路面電車が、鶴見線の内側に並行して走っていた。その名残の橋が「臨港鶴見川橋」である。ただし橋そのものは昭和50年代の竣工と新しく、橋梁名に臨港電車の記憶をとどめるのみ。

写真を拡大 かつて現鶴見線の内陸側に並行していた路面電車・鶴見臨港鉄道軌道線の名残・臨港鶴見川橋。

 橋を渡って鶴見小野駅まで歩く。首都高速道路横羽線の高架をくぐった先に弁天橋から西へ向けて出ていた鶴見川口(つるみかわぐち)駅までの支線の痕跡はわからず、そのまま鶴見線の車庫を横目に歩いて次の弁天橋駅に着く。駅手前の「旭ガラス踏切」は旭硝子の工場正門に出入りする人や車だけが利用する。周囲には他にJFEエンジニアリング、ジャパンマリンユナイテッド(旧日本鋼管造船所)などの工場が占めるおり、まさに工場専用駅の趣だ。

写真を拡大 旭硝子やJFE(旧日本鋼管)などの工場へ通う人が利用する弁天橋駅は昔ながらの小さな駅舎。

浅野・安善・武蔵白石-連続する人名駅名
 線路伝いの道はJFEの敷地で入れないので、北側の産業道路を迂回して次の浅野駅にたどり着いた。もちろん周囲一帯は埋立地で、この駅名は浅野セメントの創業者・浅野総一郎に由来する。鶴見線は日本では珍しく姓名由来の駅名が並んでおり、次の安善は実業家の安田善次郎、2つ目の武蔵白石は日本鋼管(JFEスチールの前身)の創業者・白石元治郎といった具合だ。

 浅野駅では海芝浦(うみしばうら)支線が分岐するが、この支線は東芝の工場敷地内を走る珍しい存在である。運河沿いの線路と並行する道路があるので少し先まで歩こうと思っていたが、駅近くの末広第二踏切の脇に「この道路は東芝の私有地です」という看板があったので遠慮した。ちなみにその先にある新芝浦、海芝浦の両駅は行政区画としてはいずれも末広町内で、芝浦というのは東芝になる以前の芝浦電機に由来する駅名である。

 次の安善駅までの間も線路際に道がないので、東芝とその関連会社の工場の間に通じる市道を迂回してほどなく到着。線路の北側は寛政町というが、フランス革命があった寛政元年(1789)に年貢が取り立てられるようになったことにより寛政耕地と呼ばれたことに由来するという。海辺の新田は塩害により当初は安定した収量が見込めないので、年貢はしばらく免除という例が多かった。

 安善駅から南側へはかつて浜安善貨物駅まで貨物線が通じていたが、現在では「帳簿上」は昭和61年(1986)に廃止されたことになっている。しかし実際には「安善駅の構内側線」という扱いで引き続き線路は生きていて、石油類を運ぶ貨物列車が運転されている。訪問した時にも安善駅ホームのすぐ隣のヤードに、青緑色のタンク車をいくつか連結した貨物列車が停まっていた。

写真を拡大 安田善次郎にちなむ安善駅構内には、今も米軍の燃料輸送を担うタンク車が待機している。

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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