【近鉄志摩線(旧線)【後編】かつての観光施設へ進む道】 | BEST TiMESコラム

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近鉄志摩線(旧線)【後編】かつての観光施設へ進む道

ぶらり大人の廃線旅 第10回

 

写真を拡大 【穴川付近】 左/1:50,000「鳥羽」昭和43年編集 中/1:50,000「鳥羽」平成3年修正 右/1:50,000「鳥羽」平成19年要部修正

穴川駅周辺の旧線を歩く
 幸い雨も少し小降りになり、次の路線変更区間の穴川へ向かった。1時間に片道2本走っているので、廃線探訪としては異例な便利さを享受できるのが嬉しいところである。五知で乗った電車は11分で穴川駅に到着した。この区間では直角にカーブする穴川駅の前後を、小山を貫く穴川トンネルで抜けるように変更したもので、こちらも平成5年(1993)の路線変更である。新旧線が分岐するのは穴川駅の少し手前からなので、降りる前に左車窓に注意していると、果たして旧線上に架線柱が健在なのが見えるではないか。穴川駅は新線上なので新しいのだが、他と同じく無人駅だった。

 さっそく車窓から見えた架線柱のある分岐点へ向かった。五知方向へ戻ることになるが、わずかの距離である。新旧線が分岐する地点は自転車道が並行しており、架線柱の導く方向へ向かうと、河口近い川の端に出た。線路跡はリゾート施設の敷地内なので入れず、対岸から架線柱の並びを見ながら進むと、ほどなく旧線跡にたどり着いた。レールはすでに撤去されており、電車が走らなくなって23年経った線路のバラスト上にはコスモスが咲いている。このあたりが初代の穴川駅の場所だったはずだが、昭和45年(1970)の改軌の際に道路の南側へ移転したそうで、駅らしい決定的な痕跡は見つからない。

写真を拡大 穴川駅の鳥羽方で新旧線が分岐する付近。旧線には架線柱(左端)だけ残っている。

写真を拡大 旧線の築堤に点々と残る架線柱。自転車道から撮影した。

 さらに先をたどれば船溜まりがあった。擁壁にはフジツボのような貝殻がびっしり付いているから、その部分まで潮が上がるのだろう。水路を渡る小さなコンクリート橋梁が残っており、その両脇を石積みの築堤が固めていた。このあたりの海は伊雑ノ浦(いぞのうら)という湾になっており、その奥に位置するのが穴川である。かつてはここから船が牡蠣で知られる的矢(まとや)、「歓楽街」の渡鹿野(わたかの)島へ向けて出ていたというが、駅が現在地に移る少し前の昭和60年(1985)にこの航路は廃止されている。

写真を拡大 初代穴川駅の跡地付近にある船溜。この付近から的矢方面への船が出ていた。

 船へ乗り換える客で賑わったと思われる2代目穴川駅の跡地はがらんと広いスペースで、駐車場として利用されていた。目の前には介護老人ホーム。まだ新しいので、駅として使われていた時代には観光施設などの建物だったのかもしれない。いつもなら近くの人に聞くのだが、雨で歩行者は皆無。その先にも雑草が茂った中をかつての線路らしい踏み跡が続いているのだが、ほどなく途切れている。さらに先は地形図によれば田んぼのはずだが、これも耕作放棄地になっていた。見渡す限りの雑草の原っぱは朝からの雨に煙り、遠くの新線を2両編成の電車が駆け抜けていった。

写真を拡大 2代目穴川駅の跡地はがらんと駐車場になっていた。線路はこの先、耕作放棄地となった水田跡をたどる
 
 

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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