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井笠鉄道【後編】記念館と往年の鉄道車両を目指して

ぶらり大人の廃線旅 第4回

写真を拡大 大正末の地形図に描かれた井笠鉄道(井笠軽便鉄道と表記)。1:50,000地形図「玉島」大正14年(1925)修正

写真を拡大 「大正の広重」と呼ばれた鳥瞰図の第一人者・吉田初三郎による「井笠沿線を中心とせる備南交通絵図」観光社 昭和5年(1930)

小平井駅でプラットホーム跡を発見

 峠を越えた先の大井村(おおいむら)駅は痕跡も発見できないうちに通過、山陽自動車道の笠岡インターを2つのトンネルでくぐりながら先へ進んだ。もちろん井笠鉄道が健在なりし頃にこの道路はなかった。右に森、左に田んぼを俯瞰しながら進むが、再び力を取り戻した日光に暖められて先ほど降ったばかりの雨が湯気となって蒸発していくのが目に見える。湿度は100パーセント近いだろう。そんな気候でなければ美しい田園風景を俯瞰するいいアングルだ。

 

小平井(おびらい)駅の手前、雨上がりの廃線跡。田んぼを左手に俯瞰するコース。

 やがて小平井(おびらい)駅の跡地であるが、足元に気を付けていると、茂った夏草の中にプラットホームの石積みが認められた。これは間違いない。笠岡を出て初めての明瞭な鉄道の痕跡である。そして傍らの古びた建物は駅舎だったらしく、その壁には「小平井停留所跡」と記した往時の写真が貼り付けられていた。駅舎跡の建物は古いが、参院選が終わったばかりだから、真新しい公明党と共産党のポスターが対照的である。

 

小平井(おびらい)駅舎。夏草の中にプラットホームの石積みが遺っている。

往時の写真を載せた「小平井停留所跡」の張り紙。嬉しい配慮だ。

 

 ほどなく廃線跡は新道の幅広い2車線の道路に合流してしまう。こういう廃線跡は面白くないが、ひたすら歩くしかないので汗だくになりつつ無心に先を目指す。次の吉田村駅は新道なので痕跡を求めるまでもないが、ちょうど跡地に建つ「よしだ歯科医院」が駅名の痕跡と言えなくもない。ちなみに吉田駅でなく「吉田村駅」としたのは、吉田という駅が信越本線に存在した(現北長野駅)ので重複を避けるためだろう。先ほど通り過ぎた大井村駅も、中央本線にあった大井駅(現恵那駅)との重複回避らしい。軽便などの私鉄にはしばしば「村」のつく駅があった。もちろん小田郡大井村(おおいそん=駅名とは読み方が異なる)、吉田村(よしだむら)ともに昭和28年(1953)に合併して笠岡市内となっている。

吉田村駅跡を過ぎたあたりで西側を望む。見渡す限りの稲穂は鉄道のあった頃と同じ風景か。
 

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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