日本の教育危機はなぜ起きたのか? 「教育改革」という名のもとにおざなりにされた学習指導の基本【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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日本の教育危機はなぜ起きたのか? 「教育改革」という名のもとにおざなりにされた学習指導の基本【西岡正樹】

子どもたちや教師にとって〝面白くて魅力的な教室〟とは何かが分かる

現役の教師たちを前に講演する西岡正樹氏

 

◾️「人として生きていくために必要な力」を子どもたちに教えてきたか?

 

 文科省の「学制百年史」の「六 戦後の教育改革」の中に次のような文がある。「6・3・3・4制」を決めた時に、これからの学習指導はこのように行っていこうという、その当時の文部省の思いが綴られていたのだ。

「学習指導の方法についても新学制による学校の授業を刷新する目的で、改善の方向を指示した。児童の学習を指導する方法原理として新しい考え方に注目し、一般に、児童・生徒の学習活動を尊重し、従来の注入主義を改める必要があることを明らかにした。終戦直後、児童・生徒の自律的活動を進めるための討議法が新しい方法の一つとして奨励され、討議をとおしての活動に期待した。また個人の能力を伸ばすようにして個人差に応ずる学習ができる方法を奨めた。能力別に班をつくって学習する方式などがみられるようになった。また生活の中の問題をとらえ、経験をもととした学習内容を展開する方法として単元学習が提唱されていたので、教材を単元に編成する方法が注目された。学習は教科書・教材を学ぶばかりでなく、児童・生徒が地域において具体的に見聞し経験した内容を尊重する立場から、さまざまな経験的学習活動を展開できるようにする方法が奨められた。このためには実験・観察・資料の収集などが必要であると主唱され、視聴覚教材の利用についても奨励し、教育方法についての新しい方向が検討された。」

 

 2020年に始まった「教育改革」の柱は、下記の三つに集約される。上記の文と下記の柱を見比べた者が、1947年と2020年の教育改革は大きく変わっていないのではないか、と思ったとしてもおかしくはない。

・主体的、対話的な深い学び

・子どもや地域の実態に即した学び

・学びに向かう力(知識技能 思考力 判断力 表現力)を養う

 「学制百年史」の「六 学校教育改革」に書かれていることを読んで分かるように、1947年の教育改革から2020年の教育改革まで、我々が求めていることは、根本的には何も変わっていない。そもそも、教育は、時代の流れにあった人材を育てるためのものではない、と私は思っている(義務教育年代では)のだが、ここまで変わらないということはどういうことなのだろうか。

 人は人として生きていくために必要な力(自分のことは自分でするために)があり、人はそれを養っていかなければならない。それは、時代を越えた普遍的なものだと思うし、それを疎かにし時代の求めるものばかりを追っても、教育はうまくはいかない。振り返ってみれば、戦後80年、幾度となく教育改革を行われたが、どの改革もうまくいったとは言い難い。

 子どもたちは、「人は人として生きていくために必要な力」を、地域や学校で学んできたはずである。それはこの80年間変わってはいないだろう。しかし、社会や学校はこれまで、時代が求めることばかりに囚われ、「人として生きていくために必要な力」に目を向けず、おろそかにしてきたように思えてならない。その結果が、今の教育の危機的状況である、と私は考えている。

 どのような「教育改革」も、普遍的なものをおろそかにしていては何もなし得ることはできない、と歴史が我々に教えている。昔は良かった、という「後ろ向き」なことではなく、自分自身の思いや考えを自分の言葉で語れる子どもたちのいる教室は、教師にとっても学び舎であり、やはり面白くて魅力的な場所なのだ。

 

文:西岡正樹

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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