「自己表現を志すなら、男も女も〝だし〟は自分でひけ。料理は人生を映す」辰巳芳子の教え【緒形圭子】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「自己表現を志すなら、男も女も〝だし〟は自分でひけ。料理は人生を映す」辰巳芳子の教え【緒形圭子】

「視点が変わる読書」第7回 料理は人生を映す 『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』辰巳芳子著

 

 本の内容はたとえ出版から100年が経とうとも色褪せないものであるが、時代の状況も、それを扱う人々の状況も変わったとして、平成4年、浜子の娘である辰巳芳子が丁寧な解説を加えて復刊したのが『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』である。

 私がこの本を初めて手にしたのは、刊行後間もない頃だった。仕事で某有名ファッションデザイナーの広報担当Mさんと知り合い仲良くなって、彼女の家に遊びに行った時のことだ。ふるまわれた卵料理に驚嘆した。大皿にラグビーホールを平たくしたような大きな卵焼きがのっている。オムレツではなく、10個の卵を使った厚焼き卵だという。出汁のしみわたった卵焼きの美味しかったこと! どうやって作ったのか聞くと、件の本を見せてくれた。

 すぐに本を買って読み始めると、料理と同じくらい丁寧に料理に対する心がけが記されていた。

 例えば、「だし」。

 「私たちの先祖は、自分たちを囲む多くの食べものの中から、自然においおいと。現在だしと呼ばれるようになったものを選び出し、しかもこれを安定化し、保存性を高め、恒常的に使ってゆけるようにしていったのです。それは何百年という年月の中で、膨大なる試行錯誤によって、形成されていったに違いません」、「一日が十日、十日が百日、一年が十年、十年が一生。化学だしで食べる人と、かりに味はそこそこでもしっかり自然のだしからつくったものを食べた人の生涯を比べてみて下さい。日本のだしは、何の難しいとも、手間らしい手間もかかりません。諸外国のスープと比べれば、即席に準じてひけるものです。ですから、時代の中で、自己表現を志す方は、男も女もだしぐらいは、ひける人になっていただきたい」と辰巳芳子さんは言う。

 私はこの箇所を読んで、思わず唸ってしまった。

「自己表現を志すなら、だしは自分でひけ」とは何と深いところをついてくるのだろう! 以来、私は昆布と鰹節でだしをひくようになり、今にいたっている。

 いちばんだしのひき方は、まず鍋に水と昆布を入れて火にかけ、沸騰する直前に昆布を取り出し、ほんの少し水を差してから鰹節を入れさっと煮たてて、漉す――だが、昆布や鰹節の質、水の量、火加減などにより、だしの味は全く違ってくる。

 この本と出会って30年以上が経ち、ようやく自分なりのだしのひき方が分かってきた気がする。だしをひくことそのものが自己表現であったのだ。

次のページ忙しいのに、いちいちだしなんかひいてられるか!

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緒形圭子

おがた けいこ

文筆家

1964年千葉県生まれ。慶應大学卒。出版社勤務を経て、文筆業に。

『新潮』に小説「家の誇り」、「銀葉カエデの丘」を発表。

紺野美沙子の朗読座で「さがりばな」、「鶴の恩返し」の脚本を手掛ける。

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