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ウフフ! 金沢へ②

季節と時節でつづる戦国おりおり 第243回

 イギリスのEU離脱路線で大映帝国解体の可能性が出て来たり円が高騰したり、世界も日本もいろいろ大騒ぎです。

 そんな週末3日間、小生仕事の合間必死にクラッシュしたPCのハードディスクのデータサルベージに取り組んでおりました。

 そして……めでたくデータ復活! 金沢旅行の写真もふたたび陽の目を見る事ができましたので、しばらくぶりに前回の続きを。

 

 前回は尾山神社に詣でて前田利家・まつ夫妻の銅像と石碑にご挨拶のあと、戦国時代ゆかりの強壮薬・混元丹に出会いました。その後、長町の武家屋敷跡にまわります。
 
 土塀と石畳が、なんとも良い雰囲気です。女性の観光客に人気というのもうなずけますね。

 さてその一角、野村家の屋敷跡では屋内見学が可能です。
 

 

 金沢野村家の初代・野村信貞は馬廻衆として前田利家に仕え、天正12年(1584)佐々成政が利家の末森城に攻め寄せた際、救援におもむく利家の下で一番槍の手柄をあげたという事です。

 そこでこの末森城攻防戦を記した軍記『末森記』を見ると、たしかに野村伝兵衛という名が。これが信貞さんなんですが、他の者が一番槍の名乗りを挙げて先頭に立ったところを鉄砲で撃ち倒されたあと、利家が突撃命令を下して他の四人とともに突き入った、とあります。

 そして、同僚とどちらが一番槍だったかを争ったあげく利家の裁定を仰ぎ、同時だけれど信貞は「一番槍」と自分で名乗っていたので一番槍だ、という訳の分かったような分からないような理由で一番槍認定を受けました。

 まぁ二人とも千石の知行をもらったという事で、実質同等なんですが。名誉の分だけ信貞の方が上なので、やっぱり積極的な自己アピールは必要、という事で。

 こちらの屋敷跡には、明智光秀や朝倉義景から信貞の親族と思われる野村七郎兵衛宛の感状が展示されていますが、これは野村家が越前あたりの出身だった事を示しているのでしょうか。興味は尽きませんね。
 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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