よそンちの食卓はつらいよ【新保信長】「食堂生まれ、外食育ち」41品目
【隔週連載】新保信長「食堂生まれ、外食育ち」41品目
「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へーー。それでは【41品目】「よそンちの食卓はつらいよ」をご賞味あれ!

【41品目】よそンちの食卓はつらいよ
世の中にはホームパーティなるものを開いて他人を招いたり、他人が開くそれに招かれたりする人種がいると聞く。……という書き方からおわかりのように、私はホームパーティなるものを開いたことがないし、招かれたこともない。そんなパリピな性格ではないし、そもそも友達が少ないので、まずそういう機会がないのである。小学生の頃に友達のお誕生会には行った記憶があるが、それはノーカンだろう。
パーティのように大勢が集まる形式でなくても、よそンちの食卓は苦手である。親族や友人の家でゲストとして食事をしたことは何度かあるが、どうにも居心地が悪い。店での外食なら「飲食店の客」としての振る舞いがベテランの域に達している私だが、よその家の食卓だと、どう振る舞えばいいのかわからないのだ。
よその家でもある意味「外食」だし、客は客に違いない。とはいえ、やはり飲食店とは勝手が違う。大人しく座っていればいいのか、少しは手伝ったほうがいいのか、手酌で酒を注いでいいのか、逆にお酌とかしたほうがいいのか、1個だけ残ってる唐揚げは誰が食べるのか。いろいろ考えてしまって、食べた気がしない。
そんな私が最高に戸惑ったのが、かつて某作家さんの家で食べた夕食である。その作家を仮に「鍵谷」と呼ぼう。鍵谷さんとはそれ以前から付き合いはあった。といっても、あくまで仕事上の付き合いで、何度か原稿を書いてもらったりしただけで、プライベートでの交流があったわけではない。
その鍵谷さんのエッセイ集の編集を依頼された。某版元の旧知の編集者が担当していたのだが、鍵谷さんの加筆修正作業がさっぱり進まず、「何とかしてくれ」と私にお鉢が回ってきたのである。
ベースとなる原稿はあったので、まずはそれをチェック。章立てなど全体の構成を考えたうえで、修正や加筆が必要と思われる部分にコメントを付けたものを鍵谷さんに渡す。が、それで済むなら苦労はないわけで、いろんな連載で多忙な鍵谷さんは、いつまでたっても手をつけない。これはもう隣で見張ってやってもらうしかない。というわけで、昔の編集者のように鍵谷さんの家に詰めて、集中的に作業をしてもらうことになった。
何日か通って、いよいよこれでフィニッシュという日。いつもは夕食前には引き上げていたが、その日は最後ということもあり、「メシ食っていってよ」という話になった。その時点で原稿が上がっていれば「いや、急いで入稿しなきゃいけないので」とか言えたのだが、まだ少し作業が残っており、夕食後に仕上げてもらう段取りだったので、断るわけにもいかない。