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文章で描かれた絵 『四百字のデッサン』(野見山暁治)  画家の前で風景が立ち現れる瞬間とは【緒形圭子】

「視点が変わる読書」連載第4回

 

◾️画家が風景を文章で描くということ

 

 陽子さんが癌治療を専門とするキュリイ病院に移る前、検査のため入院していた病院の描写である。野見山さんは陽子さんの容態が急変する虞(おそれ)があるため、病院に泊まることになった。その不安が病院の描写から伝わってくる。

 こうした描写が本の随所に散りばめられていて、読んでいるうちに私は無性にパリに行きたくなった。折しも1989年はフランス革命200周年。社内にはパリ旅行を計画している人がたくさんいた。私は一つのグループの仲間に入れてもらい、その夏、初めてパリに行った。『四百字のデッサン』と『パリ・キュリイ病院』を携え、そこに描かれている場所をなぞるように歩き回ったのである。

 あれから30年以上が過ぎた今、私は一つの結論に至っている。

 野見山さんは画家の目で捉えた風景を文章で描いている――。

 

「風景は視覚的なディテールだけで構成されるものではない。建物や街路、高架線路や電信柱といった細部をいかに丁寧に、正確に重ねたとしても、風景は、あらわれない。風景には、匂いが必要だ。温度が、湿気が、手ざわりが、いらだたしかったり、落ち着いたりする心の動きが、激しく、また淡い感情が、風景を構成する。人々の暮らしや時代の変化とともに変遷する街のダイナミズムと、偶然そこにたどりつきたたずんだ画家の人生が、正面から交錯する瞬間に、風景は切り取られ、写しとられる」(『内なる近代の超克』)

 

 これは文芸評論家の福田和也の言葉だが、優れた画家には目の前の風景を切り取って自分のものにしてしまう力があるように思う。野見山さんが書かれた本は、そうやって切り取られた風景に溢れている。

 では何故自分が捉えた風景を文章で描くのだ? 画家なら絵で描けばいいではないか。

 そう思う人もいるだろう。

 もちろん野見山さんは絵を描いている。人生を通し、文字通り死ぬまで絵を描き続けた。お別れの会の会場には、102歳で亡くなる直前まで描かれていたという80号の大作が飾られていた。黄色と緑の色面が画面を奪い合っているような、力強い絵だ。しかし、野見山さんの絵は随分早い時期に具象から抽象へと移り、対象の具体的なあとは消し去られてしまった。もしも野見山さんが、絵で、陽子さんが入院していた時のユニベルシテ病院を描いたとしても、私たちは何が描かれているのか理解できなかっただろう。

 しかし、それが野見山さんの絵なのだから、私たちはそれを受け入れるしかない。

『四百字のデッサン』の中で、野見山さんは藤田嗣治について書いている。ある晩、野見山さんはパリのミュージックホールで藤田と居合わせた。日本画壇と決別し、フランス国籍を取得したばかりの頃で、当時藤田は栄光の中にいた。

 

「メトロの入口の方へ廻ろうとして私は、洋服屋の陳列の消し忘れた光りの前に佇んでいる藤田さんを見つけた。なんだ、キミも来てたの。藤田さんは嬉しそうに言った。面白かったね、本当に面白かったねエ。藤田さんは何度も同じ言葉をくりかえした。(中略)別に陳列のなかの洋服を見ているわけでもないだろうに、藤田さんは帰ろうとしなかった。(中略)この老人は家に帰りたくないのだろう。今となっては日本にも帰りたくないが、フランスのベッドで眠ることも出来ないのかも知れない。私たちにとってフジタの帰化は、一種コスモポリタンとしての見事な資格を、人格的に摑みとったように思っていたが、どこの土地の人間でもないただの旅人ではなかったのか。つねにライトに当たっていなければ生きてゆけない人生がそこに在るようだ。アッツ島もパリも光りだった。帰化さえ光りにしたがっている」

 

 野見山さんにしか切り取ることのできない風景がここにある。

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緒形圭子

おがた けいこ

文筆家

1964年千葉県生まれ。慶應大学卒。出版社勤務を経て、文筆業に。

『新潮』に小説「家の誇り」、「銀葉カエデの丘」を発表。

紺野美沙子の朗読座で「さがりばな」、「鶴の恩返し」の脚本を手掛ける。

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