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「大和、操舵不能!」4人の士官の誰もが知らなかったその時、米軍第1次攻撃の真実【特攻まであと2日】

戦艦「大和」轟沈 75年目の真実⑤

■右舷への命中魚雷はナシもじわじわ迫る運転不能の事態

 生存した4人の士官は、最初の攻撃時に受けた魚雷の命中数について同意が得られなかったが、右舷には命中魚雷がなかったことで、全員が一致した。
宮本砲術参謀は、「米海軍技術報告書第S‐〇一‐三」の中で、3本の魚雷の命中を報告した。しかし確実な根拠を示せなかった。

 能村副長4本の魚雷の命中を報告しており、左舷前方への同一箇所3本の命中を認めたが、水中主要防禦区画へのいかなる浸水も生じなかったと主張した。

 森下参謀長は、わずか2本の魚雷の命中を報告した。 それは、最下甲板15区付近の左舷外側機械室の近くに1本と、最下甲板12区の第八罐室付近に2本目があったとするもので、該当する2つの区画では、ゆっくりとした浸水が始まったという。

 清水副砲術長は、2本の魚雷の命中と、これによって引き起こされたゆっくりとした浸水に同意した。しかし、3本目の魚雷は左舷後方の最下甲板15区の機械室後部に命中したと考えていた。

 清水副砲術長は第3主砲塔の弾薬庫に、最終攻撃まで被害による浸水がなかったことを知っていた。そこで、3本目の魚雷の命中が「大和」にあったとしたら、もっと後方の箇所に違いないと思っていた。操舵不能は、4人の士官の誰もが知らなかった。

 能村副長清水副砲術長とにより報告された魚雷命中後に起こった最初の傾斜5から6度は、むしろ艦中央部へは2本の命中のみとして結論づける上での証拠である。

 船体内部区画の浸水によって実証されたこれらの2本の命中は、確実なものと判定され、第135番と第150番肋材に命中したと記録されている。そして、魚雷命中の衝撃は、これら肋材の前後数肋材でもあったかもしれない。

 3本目の命中の(公算)見込みは、確実な命中魚雷2本に相当する傾斜角度と、被雷箇所の浸水に関する士官全員の知識の欠如から見て、命中はなかったと考えられるが、後部無防備部(非装甲部)である第190番肋材の第3主砲塔後方の左艦尾へ命中した可能性がある。 右舷外側の区画への注水では、「大和」の左傾斜は一度まで持ち直した。

 森下参謀長、能村副長、そして清水副砲術長は、最初の攻撃の後、艦の速度が少し低下したことに同意した。左舷外側の機械室への浸水は、第2次攻撃までに食い止められたが、第八罐室は、運転不能と報告された。〈「大和」轟沈まであと1日へ・・・つづく〉

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原勝洋

はらかつひろ

戦史研究家

1942年4月、静岡県生まれ。法政大学法学部卒業。

『高松宮日記』(中央公論社)の編集に関する調査に従事。

『文藝春秋』(昭和55年5月号)掲載の「暗号名ウルトラ 山本長官機を撃墜す」は、英訳され現在、米国国立公文書館Ⅱ所蔵の米軍極秘資料「Yamamoto shootdown」ファイルに収録されている。

『戦艦大和発見』辺見じゅんとの共著(ハルキ文庫)、『新装版・ドキュメント戦艦大和』吉田満との共著(文春文庫)の他、『零戦秘録』、『真相・カミカゼ特攻』、『暗号はこうして解読された』、『カラー写真で見る太平洋戦争』、『カラー写真で見る「原爆」秘録』、『真相・戦艦大和ノ最期』、『戦艦「大和」永遠なれ!』、『伝説の戦艦「大和」』(以上、KKベストセラーズ)などの編著がある。

 

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