もっとも、自分が世間をもやもやさせる存在だということは本人だってわかっている。11月に「ごごナマ」に出演した際、阿部渉アナに「ベッキーさんといえば、このイメージではないでしょうか。元気!」と話を振られると、

「ほんとですか? もう、そんなイメージないかなと思ってたんですけど」

 正直、戸惑いを見せていた。そこで、船越英一郎が「今日もずっと僕ら、元気もらってますよ」とフォローしたところ「お優しい」と、頭を下げながらひとこと。その流れで、かつて有吉弘行がつけた「元気の押し売り」というあだ名の話も出たが、もはや押し売りする「元気」もない状態だ。

 ちなみに、有吉の数年前、ギター侍こと波田陽区は彼女のことをこう斬った。

「アンタは元気とウザイのハーフですから」

 その「元気」が消えて「ウザイ」だけになったのが、騒動後のベッキーなのかもしれない。

 では、彼女はいつになったら全面的に許されるのか。いや、そもそも、許されるときは来るのか。その答は、限りなくNOだ。不倫をした有名人は主婦に嫌われるが、いまやそれだけではない。恋愛も結婚もままならない「おひとりさま」系の女性にも憎まれる。つまり、世の女性のほとんどから敵視される対象なのである。

 同じことが、矢口真里にもいえる。こちらは不倫騒動から3年後にカップヌードルのCMに出て自虐ネタをやったところ、クレームが殺到。そのCMはわずか8日で打ち切りとなった。不倫相手と再婚して出産もしたが、ママタレの枠にも入れそうにない。

 ベッキーの場合は、別の相手との結婚とはいえ、自由奔放にやっている印象を抱く人は多いから、幸せのアピールはやはりマイナスでしかないだろう。また、最近はSNSの発達で、アンチの反応もどんどん示され、可視化されてしまう。これにより、世間はスキャンダルを起こした有名人に対し「消す」快感に加え「叩き続ける」快感を得やすくなった。そこに味をしめたのだ。

 とはいえ、ここから大逆転をするチャンスもなくはない。羽生弓弦クラスの優秀なイケメンを産み、育てるというウルトラCだ。最低でも10年以上かかるが、名誉回復にはそれくらいしかないだろう。

 それにしても、ベッキーはかつて、もっぱら好感度という漠然としたものだけでバラエティやCMの世界に君臨していた。それゆえに転落の幅も大きかったわけだが、人気という尺度で生きる芸能人の儚さも感じられ、趣き深い。

 儚さといえば、18年に主演したBSテレ東の時代劇『くノ一忍法帖 蛍火』では、江戸時代を舞台に混血の女忍びという宿命を抱えて戦う姿が意外とよかった。お約束の入浴シーンでは「また穢れてしまった」という意味シンな台詞を言わされていたものだ。そんなことなど、しみじみと思い出すゲス不倫騒動4周年である。