“令和”という新時代に向けて走り出した2019年も終わろうとしている。

――平成はどんな時代だったのか?
その事件史を振り返るなかで『オウム真理教事件』は、大きな爪痕を残したものとして挙げられるだろう。

 国家転覆まではかろうとしたオウム真理教の死刑囚たちの素顔を描いた『幻想の√5』の著者・中谷友香氏と旧知の仲であり、80年代からミュージックシーン、サブカルシーンで活躍するサエキけんぞう氏、社会学者の宮台真司氏が新年、オウム真理教の深層に迫るトークイベントを開催。

 そんななかで、なぜサエキけんぞう氏がオウムを語るのか、なぜ今オウムなのかについて、取材した。

■“タンスの中にしまっておく”と、本当の意味で何が危険なのか分からない

――オウムについて、興味を持ったきっかけは

サエキけんぞう「オウム事件の当時、スポーツ新聞などの関連記事をスクラップしたんですけど、だいぶ溜まったことを記憶していますね。もうひとつのきっかけは、1992年くらいにぼくが京都大学で講演会をした際、キャンパス内の別の場所で、同時刻に麻原彰彰氏が講演をしていたんですが、ぼくのところは300人、向こう3000~4000人…(笑)。そのリアルタイムな空間で、のちに幹部となる土谷正実が“オルグ”されていたということにとても衝撃を受け、感慨深いものがあったんですね」

 

――どのような部分で興味を抱いていきましたか

サエキけんぞう「80年代、オカルト系のことをすごく調べていたんですけど。そのなかにあって、サブカルの現象としての“麻原彰晃”“オウム真理教”に入れ込んでいました。彼らが運営していた“ラーメン屋経営”“コンピューター販売事業”を資金源にしていたという面でもかなり小回りのきく考えた方をしていたという部分でも非常に興味深かったですね」

 

――なぜ数ある新興宗教のなかでオウムの気になっている点は

サエキけんぞう「キリスト教などの伝統がある宗教は“社会の規制・秩序”のように働いていて、たとえば、自分がいくら正しいと思っていることでも、法などで違法だと定められていれば、しょうがないとなる。キリスト教には、それに近い気品や佇まい、機能があると思うんですよ。ところが、新興宗教の本音というのは、目の前にいる人間を“いかにカモる”ことだと、ぼくは思っているんですが、心がさみしい人とかは“カモり”が見えない。“カモり”を隠しながら、いかにカモるかについて、オウムに関しては、その手札というか、方法という部分がとっても気になるんですよ」

 

――実際、どんなロジックがあったんでしょうか

サエキけんぞう「ポップカルチャー的な目線でいうと、今世界的に売れているエド・シーランは、どういう風に若者たちの心を掴むのかという点を研究し、わかっているように見える。目線の降りて行き方が違うわけですよ。オウム真理教というのは、若者の目線に降りてきていると思うんです。この『他の新興宗教とオウム真理教の違い』については今度、トークイベントをさせてもらえる機会があるので、そのときに話せればと思っているのですが」

 

――少し、どんなやり方を行っていたか、教えてもらえませんか

サエキけんぞう「新興宗教のニューウェーブとしてのオウム真理教は、目を見張るものがあった。そこについての麻原のアイデア、家来たちのサポートぶりにはすごく興味がある。先ほど言ったトークイベントでごいっしょする『幻想の√5 ―なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか―』の著者・中谷友香さんが本のなかでも触れている、中村受刑者(ようは信者)のために8時間くらいマントラを唱えてくれたというエピソードがあるんですが、すごく子分に親身に接していた。子分としては、新鮮であっただろうし、心酔していったのでは、ということを踏まえて、どうやってオルグするのかっていうことは、今後を調べていきたいことではありますよね」

 

――なぜ今、オウムなのか?

サエキけんぞう「中谷さん(前出の『幻想の√5』の著者)という方が出てきてくれて、女性でありながら引き受けてくれ、残った受刑者のコメントが残されていった。パーソナルな心に分け入る形で、入ることにより出てくる言葉もあるし、本物の手触りを得ることができた。オウム真理教の年表見ても音楽を聴いても出てこない部分を掘り起こして、形になったことは重要です。何でも直面したり、そのものに触れてみないと見えないことがある。“オウム”というものを悪いことだとして“タンスの中にしまっておく”と、本当の意味で何が危険なのか分からないままにしまわれてしまう。たとえば、似たような人が現れてもその危険性を察知できない、そういう意味で残していかなければならない事例であり、今後を語っていかなければならないことだと思っています」