日本では街の書店が年々消えつつある。しかし、たびたび中国を訪れるようになって驚いた。事実上の共産党一党独裁。言論の自由がなく、当局が認める本しか出版が許されないこの国で、どういうわけか書店が爆発的に増えているからだ。
 さっそく幾つかの気になる書店、流行っている書店に行ってみた。その品揃えや客層などについてのレポートをお届けする。

中国の『言論・出版の自由』

 日本以上に「もはや紙じゃない」お国柄、もっと言えばコンテンツに金を払うという意識が希薄な中国。普通に考えれば、日本以上に書店が続々潰れていてもおかしくないはずなのだが…大都市のみならず、地方の第2線、3線都市でもコンセプト型の新たな書店が続々生まれている
 果たしてそこには、日本の書店業界が苦境を脱するためのヒントはあるのだろうか? 

 習近平総書記の母校でもあり、世界ランキングで堂々1位に鎮座する北京・清華大学。そこからほど近い一角に、最高学府に通う学生や作家、知識人たち御用達の『万圣书园(ワンシェンシューユェン)』なる書店がある。
 最初に書いておくと、ここはいま中国で増えている新たなタイプの書店とは全く毛色が異なる。それでもこの本屋から紹介を始めるのは、中国の出版、そして言論の自由がいかにがんじがらめであるかを体現している場所だからである。

 通常、中国の書店は入店すると目立つ場所に、習近平および共産党関連書籍が並んでいることが多いのだが、ここ『万圣书园』にはそれらが見当たらない。
 代わりにありとあらゆる専門書が取り揃えられ、当局に媚びることはおろか、商売すら二の次といった心意気すら感じさせる店内だ(実際は同店のファンが多く、経営は順調のようである)。

 「習近平の本を目立つところに並べなくて怒られないのだろうか?」などと余計な心配をしながら店内を散策してみると、それらは店の一番奥にしっかりと置かれていた。しかし、その横は「Me Too」的なセクシャリティに関する書籍枠。伊藤詩織女史の『Black Box』(中国版タイトルは「黑箱 日本之耻」)などと隣り合わせに、毛沢東やら習近平のありがたい本が陳列されているのだった。
 少しでも中国を知っている者ならばそこに戦慄を覚えるのは当然だ。もし国営書店でこんなことをやらかしたら、店長は即更迭されても不思議ではない

 もちろんこれが配置・陳列ミスなどではなく、信念あってのことであるとの思いは、書店のおすすめ書籍の棚を見て確信へと変わった。そこに並べられていたのは、中国でも人気の東野圭吾でもなければ流行りの新刊ですらなく、ナチスドイツ絡みの書籍や『1984』を始めとしたジョージ・オーウェルの作品などなど…。
 どれも当局の許可を得て出版された本であるから法律的には一応問題ない。つまりこの書店は、本の陳列方法という婉曲な手段を使って、か細いながらも反権力ののろしを上げているのである。

 むろんこんな書店は、例外中の例外。
 香港ならばもっと直接的に中国を批判する書店もあるが、やはり店長が拉致されたりなどしてしばしばニュースになる

 まさに収容人数13億人強の「世界最大の収容所」。だけど政府に歯向かわなければ檻を自覚しないで暮らしていける不思議の国・中国で、自由を叫ぶことがどれほど難しいか。また、日本と異なり出版業がいかにデリケートな商売であるかを表す好例と言えるだろう。
 

中国の書店に人が集まる理由

 中国で増えているのは、先に挙げた「万圣书园」とは対局に位置する「信念」よりも「商業」に徹したタイプの書店である。
 中には最初から本で儲けようなどとは思ってないのではないか、と感じる店も珍しくない。出版の自由こそないものの、書店の営業形態については果てしなく発想が自由。当たり前だが、どんなに高尚な理想を掲げていても、儲けが上がらなければ経営は続かない。
 「いかに客を集めるか」
 「いかに店で金を使ってもらうか」
 中国の書店はどちらかというと本そのものではなく、コンセプト勝負で、日本の書店が越えられない一線を悠々と越えてくる。

 その筆頭は、カフェや飲食店併設型の書店だ。
 「いやいや、そんなの日本にもあるよね」と思った貴方は少し甘いと言わざるを得ない。
 中国の書店は下手すると本の売り場よりもカフェの方が広く、しかもコーヒーをすすりながら買ってない本を堂々読んでいる客も見かけるほどに自由なのである。

モラルはさておき、本好きにとっては何とも居心地の良い空間

 一応は書店内に「買って読んでね」と注意書きもあり、本もビニールでシュリンクされていたりするのだが、そもそも中国人は立ち読み防止のビニールなんぞ平気で破って床に座り込み、堂々読み倒すくらい肝が座っている。店にもよるが店員もほとんど注意しない。

 カフェ併設ではない書店だと、夏になるとエアコンの効いた店内で絵本や学習参考書を読み耽る子供たちで足の踏み場もない書店すらあるほどだ。
 「だったら、カフェで好きなだけ読ませて飲み物代を取った方がよっぽどいい」という発想が生まれるのはある意味自然といえる。飲み物代が15元~20元と考えれば、本1冊の儲け(仕入れや取次代を抜いた店の小売分)と大して変わらないのだから。

 実際、筆者もスタバなどよりこの手のカフェをよく利用している。コーヒーの味がいいのではなく、読書に集中している人が多いので街の喫茶店より比較的静かだからだ(ただし、こういう本屋に陳列されている書籍はたとえ新刊でも古本並みに汚れており、購買意欲を削がれる…)。

 同様に「箱」勝負で客を集める書店も多い。中国人のSNS好きは日本人の比ではなく、さらに自撮りを含めてとにかく写真を撮るのが大好きな国民性。つまり「映える」書店には人が集まるのである。

 果たして写真を撮りに来た人がどれほど本を買うかは疑問ではあるものの、大概こういう書店は大型のショッピングモールなどに入っているので、全体の集客という点から見ればたとえ本でペイしなくても存在意義はあるのだろう。
 著者のトークイベントなどで客集めに精を出す日本の書店は少なくないが、そんなことをしなくてもSNSで話題になればケータイ片手に若者が集まってくるわけだ。

書店、出版はどこへ向かうのか…

 では、中国の出版業界、また書店業界の未来は明るいかというと、そうとばかりも言えない。流行りのカフェ併設型書店も、あまりにも急に増えすぎたために既に飽和状態だと感じることもあるし、一部の出版人や知識人からは批判もある。
 何しろ中国人は「熱しやすく冷めやすい」ので見切りも早い。また、中国では日本以上に実店舗を構える商売が時代遅れとなっている。ましてや、しっかりした出版文化や読書ブームに裏付けられたわけではない書店の増加は、ある時突然逆風に晒されたとしても何の不思議もない。

 「電話で喋ったり飲食したり、座り込んで本を読まないでくださいね」なんてことを注意せずとも、日本人はそもそも書店でそんな狼藉を働かない。それに対し、中国人はどこまでも自由である。書店でのルールといえばせいぜいペット禁止、喫煙禁止、万引き禁止といったぐらいのものだろう
 今の中国の書店文化から学ぶべきものがないとは言わないが、人々の考え方がここまで異なる以上、中国の成功例を日本にそのまま取り入れるのはやはり難しいのではなかろうか。

 水や空気と同じように、日本にいるとその有り難みがいまいち実感できない出版の自由。中国の人々は表立って口には出さないが、教養のある人ほどその価値を身に沁みて分かっている。自由を求めて声を上げ、帰ってこなかった大陸の知識人は数知れず。いくら本が売れなくなっていようが、日本の出版文化には胸を張って誇れるものがあるのである。

 そして、それを支えることができるのは、国でもなく作家でもなく、また出版社ですらない。読書を愛する皆さんである

 どうか、久しぶりに素晴らしい日本の書店へ足を運んでいただきたい。

 そこで貴方にとって素晴らしい本との巡り合いがあることを心より祈りつつ、この稿を終える次第である。

 


中国を中心としたアジア諸国に関する、硬軟織り交ぜたレポートをnoteで連載しています。