道の奥の奥、「みちのく」の古墳を巡る。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

道の奥の奥、「みちのく」の古墳を巡る。

古代遺跡の旅【第4回】 

 【どうしても会いたかった古墳、会津大塚山古墳へ】

 戊辰戦争の折の白虎隊の名でもよく知られる会津若松の地。筆者は維新好きでもあるので、以前ならば、白虎隊ゆかりの地を訪れるという思いで胸がいっぱいになったかもしれないが、今は違う。もっと遥か昔、古代のこの地への思いで、胸が高鳴ってくる。

 古墳へのアプローチは古墳がある丘陵の東側に隣接する公園墓地の長い階段を登ることから始まる。結構息を切らしながら登っていくけれど苦にはならない。会津大塚山古墳。東北の古代史の常識を大きく揺るがしたこの古墳には、どうしても会いたかった。

 会津大塚山古墳は、墳丘長114mの福島県内で最大級の前方後円墳だ。この古墳の調査は、1964年、最初の東京オリンピックの年に行われた。東北大学名誉教授で、東北地方の古代の時代研究に大きな業績を残した故・伊東信雄博士が調査の指揮をとった。このとき、伊東博士にはなみなみならぬ決意と意気込みがあった。というのも当時、会津盆地、ひいては東北地方には見るべき重要な古墳はほとんどないと考えられていたそうだ。ヤマトから遠い東北の地に、もし古墳というモニュメントを築造する考えが伝わったとしても、それは時間が相当かかり、おそらく7世紀以降だろうという考えが主流だったという。

 ―伊東博士にとって会津大塚山古墳の発掘調査は、孤軍奮闘の感があったみずからの主張を実証するまたとない機会であったのだろう。(中略)。伊東博士は調査開始前に「東北の古墳は貧乏古墳だから掘っても何も出ないかもしれないがそれでもいいか」と尋ねたと伝えられる。―(「東北古墳研究の原点 会津大塚山古墳」新泉社より)

 意気込みと熱意と、掘ってみるまではわからないことへの隠せない不安。考古学者の方が発掘調査をされるということに、素人の筆者は強い憧れを抱くが、当事者にはいろいろな思いがせめぎ合いながらも、粛々と発掘が行われるのだろう。緊張と期待をはらんだ発掘調査が、会津大塚山古墳でもいよいよ始まった。

 しかしその不安は杞憂に終わった。まず、後円部で南北に2基の割竹形木棺(わりだけがたもっかん)の跡が見つかった。まず北棺から調査が始まった。中からは鉄製剣や刀、首飾りなどが続々と出土した。

出土当時の写真。鮮やかな朱と青銅の鏃のコントラストが息をのむほどの美しさだ。調査にあたった人たちの目に焼きついたに違いない。(写真:会津若町市立図書館所蔵)

 さらに南棺からは、すごいものが見つかっている。弓の矢を納めて腰や背につける筒=靫(ゆぎ)が現れたのだが、光り輝く青銅の鏃(やじり)とともに、朱で覆われた鮮やかな靫が出土したのだ。発掘に当たった人々が息を飲む美しさだったという。

 福島県立博物館で出土状況のパネル写真を見たが、朱の鮮やかさに見とれてしまった。貧乏古墳と言われていた東北の古墳から、これほど見事な、素晴らしい証が出土したのだ。無関係の筆者でさえ、胸のすくような思いがした。

 ほかにも南棺から青銅鏡や勾玉、管玉、ガラス玉でできた首飾りや鉄製品などが続々と出土したが、その配置はヤマトのそれと同じだった。前期のヤマト王権の古墳とほぼ一致する配置法から、この被葬者がすでにヤマトとのパイプを有していたことが伺える。

 さらに、である。南棺からは三角縁神獣鏡まで見つかったのだ…!三角縁神獣鏡がヤマト王権から付与されたということは、そこにヤマトとの強力な絆の存在を意味する。

 会津大塚山古墳の南棺の被葬者は、早くからヤマト王権と同盟を組み、ヤマト側からも重用された人物と想像できる。三角縁神獣鏡と同じく見つかった三葉環頭大刀(さんようかんとうたち)もまた非常に貴重なものだった。おそらく4世紀ごろのものとされるが、その数はごく少ないという。三角縁神獣鏡と三葉環頭大刀という重要な副葬品を有した被葬者とはどんな人物だったのだろう。

大刀と鏡の出土状況。被葬者の脇か頭の上に置かれたと考えられている。(写真:福島県立博物館所蔵)

上:三角縁神獣鏡には上下に神像、左右に不思議な獣の像が描かれている。下:三角縁神獣鏡の実測図。絵柄を詳細に見ることができる。 (ともに画像は福島県立博物館所蔵)

 

 とにもかくにも、東北地方には7世紀以降の古墳しか存在しないという考えを、会津大塚山古墳は、4世紀にまで遡らせて、根底から覆したのだ。

 もう夕暮れ間近だったが、なんとか、この古墳に会うことができた。墓地からの階段を登り切って、鬱蒼とした森に入っていく。木々に深く埋もれるように墳丘があった。なだらかなフォルムを描きつつも、前方部が低くなっている。

 日が傾いてきたこともあって、しんと静まる古墳は、触れるべからずのもののような空気をじわじわと醸してくる。後円部から前方部を見渡す全長114mという大きさが、量感を持ってぐっと迫ってくる。

 東北の古墳に対する概念をひっくり返すことになった会津大塚山古墳。古墳自体は そんなことは知らないよ、という風情で、ひっそりと静かに佇んでいた。

 その後の調査で東側に不思議な土手のような張り出し部があることがわかったそうだが、なぜそのような形なのかはよくわかっていない。墳丘の周りは鬱蒼と木々が茂って、張り出し部の存在はよくわからなかった。

会津大塚山古墳の測量図。確かに東側に大きな張り出し部が見える。(画像:福島県立博物館所蔵)

 前方部の端っこまで行くと、墳丘がそそりたつ様子がよくわかる。この丘陵の地形をうまく生かして築造されたのだろうけれど、当時、下から見上げれば、この古墳はどれほど圧倒的な存在だったことか。

 その後の調査で東側に不思議な土手のような張り出し部があることがわかったそうだが、なぜそのような形なのかはよくわかっていない。

古墳からの景色。古代のこの地の首長もこの空や山並みを眺めたはずだ。

 古墳の森から抜け出ると視界がさぁっと開ける。街並みが広がり、古代のそれとはもう風景は違うだろうけれど、この開放的な気分は、古代のリーダーも味わったかもしれない。ヤマトから遠く離れたこの北の地は、どんな人物がどんな風に治めていたのだろうか。

 登ってきた階段を降りて、もう一度、振り返って見ると、古墳はもはや墓地の後ろのこんもりとした森にしか見えない。でも、会津の、東北の、古代の歴史を大きく塗り替えた素晴らしい古墳がここにある。研究者たちの意気込みと熱意の果てに多くのことを明らかにしてくれた会津大塚山古墳は、忘れがたい一基になるはずだ。

 ―会津盆地の古墳時代には大きく三つの勢力があったと言われているようですね。会津大塚古墳を擁する「一箕古墳群」(いっきこふんぐん)、杵ガ森古墳や舟森山古墳など前方後円墳がある「雄国山麓古墳群」(おぐにさんろくこふんぐん)、そして福島県最大の前方後円墳、亀ケ森古墳がある「宇内青津古墳群」(うないあおつこふんぐん)がそれです。これらの地域では古墳築造が継続して営まれ、4世紀の後半頃に、それぞれの地域に最大の大型古墳が現れます。「こしの国」の旅で「波動」の話をしましたが、会津盆地にも古墳を築造するという波動が伝わっていたことが実感できますね。我々も「こしの国」から阿賀野川沿いに会津盆地に入ってきましたが、古代にも同様のルートがあったとみなされます。新潟平野の方から、土器類なども入ってきています。そして、この会津大塚古墳です。1964年、東北大学の伊東信雄先生が発掘調査をされたのですが、もう、副葬品の質・量ともに桁違いのものが出土しました。三角縁神獣鏡や三葉形環頭大刀や、とにかくこれだけの副葬品が60年代当時、東北の会津盆地に見つかるとは思わなかったといわれていました。それだけに考古学史的にも価値ある古墳です。要は東北地域の古墳時代の認識を一新したというわけです。これは逆に汎列島的に地域を見直すことにもつながって行きます。
 ただし、前方後円墳築造の分布や三角縁神獣鏡があるからということが、イコール、ヤマト政権の政治権力がおよんだ地域だと短絡的につなげることは、しないほうがいいとは思います。副葬品の儀礼行為―埋葬施設のなかでの扱われ方の違いなど、近畿中部の同時代の古墳とは異なる点もあります。
 しかしながら、やはり、波及による文化の連続性は確かにあると思います。「こしの国」と「みちのく」は非常に緊密な関係にあり、その向こうに「畿内」というものがあった…、そんなふうに見ていくとまた面白いですね。福島県立博物館にて、会津大塚山古墳からの出土品や発掘時の資料などを見ることができますので、古墳を訪ねて、さらに博物館もぜひ訪ねてみてほしいですね」(今尾先生談)

次のページ古代・北の防御ラインを見る〜白河へ〜

KEYWORDS:

オススメ記事

郡 麻江(こおり まえ)

こおり まえ

ライター、添乗員

古墳を愛するライター、時々、添乗員。京都在住。得意な伝統工芸関係の取材を中心に、「京都の人、モノ、コト」を主体とする仕事を続けながら、2018年、ライフワークと言えるテーマ「古墳」に出会う。同年、百舌鳥古市古墳群(2019年世界遺産登録)の古墳ガイドブック『ザ・古墳群 百舌鳥と古市89基』(140B)を、翌2019年、『都心から行ける日帰り古墳 関東1都6県の古墳と古墳群102』(ワニブックス)を取材・執筆。古墳や古代遺跡をテーマに、各地の古墳の取材活動を続ける。その縁で、世界遺産や古代遺産を中心にツアーを企画催行する株式会社国際交流サービスにて、古墳オタクとして古墳や古代遺跡を巡るツアーなどの添乗の仕事もスタートしている。

この著者の記事一覧