わずか415両の生産。最強の駆逐戦車「ヤークトパンター」とは? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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わずか415両の生産。最強の駆逐戦車「ヤークトパンター」とは?

駆逐戦車、突撃砲、自走砲~機甲戦を支えた「戦車殺し」の強力な助っ人たち④

■連合軍戦車殺しの最強駆逐戦車ヤークトパンター

フランスで作戦行動中のヤークトパンター。装甲厚80mmで30度もの大きな傾斜角が付けられた車体前面上部装甲の耐弾性能はきわめて高かった。

 ・・・・連合軍のノルマンディー上陸から約2か月が経過した1944年7月30日。同戦線西翼でアメリカ軍が実施していた突破作戦「コブラ」を支援すべく、イギリス軍も前進作戦「ブルーコート」を発動した。そしてコーモンでは、イギリス近衛第6戦車旅団スコティッシュガード連隊第3大隊のチャーチル歩兵戦車が、歩兵部隊を先導して進んでいた。

「奴ら、随分とのんびり進んでるな。前衛のチャーチルを逐次叩くぞ!」

 キューポラから半分頭をのぞかせて戦況を視察しながら、車長が咽頭マイクで僚車に伝える。

「了解!」

 

 と同時に、「戦車殺しの牙」こと8.8cm砲が、各車で立て続けに口火を切った。同砲の鋭い発射音が轟くたび、連合軍戦車としては比較的重装甲なはずのチャーチルが、次々と紅蓮の炎と黒煙に包まれて行く。

 かくしてイギリス軍は、この一度の戦いでチャーチル11両を撃破され、その行き足を完全に削がれることとなった。陸軍第654重駆逐戦車大隊所属のわずか3両のヤークトパンターの「仕事」である。同車の初陣としては、申し分なき見事な戦果といえよう・・・・

 既述したマルダーなどの対戦車自走砲は、火力こそ強力だが、防御力は極端に脆弱というアンバランスさを抱えていた。そこで、III号突撃砲の実績に基づいて開発されたのが駆逐戦車である。もっとも、突撃砲と駆逐戦車は前者を突撃砲兵、後者を戦車猟兵という別個の兵科が装備するというだけで、実質的には同質の車両であった。

 その駆逐戦車の究極として登場したのが、優秀なパンター中戦車(拙稿『2社で競合したドイツのパンター戦車開発、選考ポイントは砲塔リングの径(2018年04月11日配信)』参照)の車台を利用した駆逐戦車ヤークトパンターである。

 ヤークトパンター(Jagd Panther)とは、「狩りをする豹」の意だ。搭載した砲は、第二次大戦中の最強重戦車と目されたティーガーIIと同系統の強力無比な71口径8.8cmPaK43。傾斜角30度で80mm厚の車体前面装甲は、通常の交戦距離では連合軍のほとんどの戦車砲での貫徹は困難であった。まさに最強の駆逐戦車といえる。

 1943年12月17日、本車の試作車を見学した戦車好きで知られたアドルフ・ヒトラーは、ティーガーⅡよりも本車のほうが優れていると論じ、早急な量産化を求めた。

 しかしすでにドイツの戦車生産の現場は既存車種の大増産と新規開発車種の生産開始などで手一杯の状態で、ヤークトパンターの量産車が完成したのは、ヒトラーの要求から実に約半年がすぎた1944年4月。すでに戦局はドイツ劣勢に大きく傾いており、生産は思うに任せず、結局、「最強の駆逐戦車」ヤークトパンターはわずか415両しか生産されずに終わった。

 なお、かつて日本では本車の愛称が「ロンメル」だと思われていた時期があった。これは国内の某大手プラモメーカーが本車のキットの発売に際して販売戦略上命名したもので、ゆえに日本だけでしか通用しない名称である。なぜ名将ロンメルの名が付けられたのかといえば、あくまで推察だが、アメリカ軍がシャーマンやパーシング、ジャクソンなど自国の名将の名を実際に戦車の愛称として付与していたことにインスパイアされたものと思われる。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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