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第二次大戦終結後続々とライセンス生産された「T-34/85」

ティーガー、パンター、エレファント・・・強力無比なドイツ戦車群と戦い抜いた「ロージナ(祖国)」と呼ばれた傑作中戦車

1949年の中華人民共和国建国直後の1950年、パレードで行進する人民解放軍のT-34/85。ソ連は人民解放軍にT-34/85も含む第二次大戦で使用され余剰となった兵器を大量に供給した。

■赤いスチームローラー戦術の要、T-34/85

 ドイツは、独ソ戦の緒戦で受けた「T-34ショック」や「KVショック」を解消すべく、既存の各種戦車の性能向上に加えて、ティーガー、パンター、エレファント、ナースホルン、マルダーといった猛獣の名が冠せられているため、「猛獣(アニマル)シリーズ」の通称で知られた強力な新型の戦車や対戦車車両を次々と戦場に送り込んだ。独ソ間における、いわゆる「戦車の性能向上シーソーゲーム」の本格的な始まりである。

 その結果、76.2mm戦車砲搭載のT-34の優位性は急速に低下。逆にティーガーやパンターの重装甲を76.2mm戦車砲で貫徹すべく、例えば1943年中盤のクルスク戦でのように、軽快な足回りを利してドイツ戦車群に梯隊を組んで突進。接近するまでに生じる味方の犠牲を顧みず、ドイツ戦車の懐に飛び込んで戦う捨て身の戦車白兵戦術などが用いられた。

 一方、ドイツ戦車の性能向上というこの事態に技術的に対抗すべく、ソ連もまたT-34の性能向上に着手。

 その結果、内部容積が拡張された新しい大型砲塔が設計され、砲搭乗員が念願の車長、砲手、装填手の3名となった。そして「猛獣シリーズ」とがっぷり四つに組んで戦うべく、85mm高射砲M1939(52-K)から発展した85mm戦車砲をこの砲塔に搭載したT-34の新型へと生産が移行。搭載砲にちなんでT-34/85と称された。なお、本車の出現で従来のT-34を区別する必要が生じたため、T-34/76と呼ばれるようになった。いずれも搭載砲の砲腔口径を末尾に付した名称である。

 ドイツの8.8cm戦車砲がやはり高射砲をベースに開発されたように、高空の敵機に向けてできるだけ速く砲弾を撃ち上げねばならない高射砲は高初速で、徹甲弾を高速で撃ち出して装甲を貫徹させなければならない戦車砲に最適だった。もっとも、T-34/85に搭載された85mm戦車砲は、ドイツのティーガーの8.8cm戦車砲や、パンターの長砲身7.5cm戦車砲には威力的に劣っていたが、戦い方によってはこれらドイツの「猛獣シリーズ」に勝つことも可能だった。

 T-34/85は1944年前半に戦場に出現。この頃になるとレンドリースによるアメリカやイギリスからの武器供与とソ連国内での兵器生産体制が軌道に乗り、ソ連戦車兵たちの練度も向上して、ドイツ軍は苦戦を強いられるようになった。特にタンクデサントと称される戦車跨乗歩兵を乗せた多数のT-34/85を突進の先頭に立てたスチームローラー戦術は、少ない兵力で防戦するドイツ軍にとって悪夢だった。もっともその一方で、実はT-34/85とタンクデサントも、他国の軍隊ではとても容認できないほどの恐るべき数の損害を蒙っていたのだが。

 第二次大戦終結後、T-34/85はポーランド、チェコスロヴァキア、中華人民共和国でライセンス生産された。これら戦後生産型は戦時中のソ連生産型よりも仕上げや性能が向上しており、運用者の好評を得た。そしてオリジナルのソ連製やライセンス生産された本車は朝鮮戦争、ハンガリー動乱、中東戦争、中越戦争などに参加。さらに21世紀の今日に至っても、第三世界での紛争にその姿を見かけることがある。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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