■織田信雄に放火する動機はあったのか?

 その直後の6月15日、信長の次男信雄が安土城を接収したとき、天守が炎上してしまったのは前述の通りである。そのため、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、放火の犯人を信雄と記録している。しかし、それは伝聞にもとづくものであり、フロイスが直接、信雄から聞いたわけではない。信雄が犯人であったと断定するのは早計ではなかろうか。

イラスト/ 羽黒陽子

 そもそも、信雄には放火しなくてはならない理由が存在しない。結果的に、信雄が信長の後継者になることはできなかったが、まがりなりにも信長の次男である。すでに長兄の信忠は本能寺の変で横死しており、信雄が安土城主になることもあり得ない話ではなかった。その後、光秀を討った秀吉が、信忠の子三法師を後継者にすることで実権を握ろうとしたのだが、この時点では、決定していなかった。確かに信雄は、武将としての評価は高くないが、城に火を放つことがどのような意味を持つか、知らないわけではあるまい。

 信雄が放火したのでなければ、それまで占拠していた明智光秀の家臣が放火したことになる。もっとも、城の守備を任されていた明智秀満は、光秀の居城の坂本城に入っており、安土城にはいなかった。最後まで城を守っていた城兵が、本丸に火を放って退去したとみるべきではなかろうか。城に火をかけて逃亡すれば、追撃までの時間も稼ぐことができるのである。