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関ヶ原古戦場で、大谷吉継の墓と陣跡を訪ねる

外川淳の「城の搦め手」第59回

 今回は、関ヶ原古戦場で、大谷吉継にまつわる見どころについて紹介してみたい。
 関ヶ原合戦では、約1500というその兵力以上に、大谷吉継が果たした役割は大きかった。大谷は決戦の半月前から関ヶ原へ布陣し、臨時陣地の築造にあたっており、その一部が今日に伝わる。

『笹尾山石田三成陣跡』笹尾山の山麓から山頂にかけては雛壇状の平面が連続しており、 臨時陣地としての名残りとも想定できる。

 大谷吉継の墓や陣跡は、関ヶ原古戦場のなかでも、ポイント的に離れ、しかも坂道が続くため、笹尾山の石田三成陣跡や関ヶ原歴史民俗資料館周辺と比較すると、訪れる戦国ファンの数は激減する。それでも、友情に殉じた名将の最期の地を訪れる者は少なくなく、墓前には香華や酒などが備えられている。

『大谷吉継墓』大学1年のとき、はじめて訪れてから、今回で4度目。

 墓から山道を上り下りして5分ほどのポイントには、大谷の陣跡を示す石碑が立ち、その前面には、臨時陣地として築かれた縦堀と、小規模な柵平地が残される。

『大谷吉継陣近くに伝わる臨時陣地の遺構』そのままの状態では、ただの斜面にしか見えないため 縦堀に赤い矢印、削平地に青い矢印を追加した。

 周辺には、このような臨時陣地の痕跡が残されており、関ヶ原古戦場は、何度行っても新たな発見があり、見飽きることはない。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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