北海道の近代を開いた最古の鉄道 国鉄手宮線【前編】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

北海道の近代を開いた最古の鉄道 国鉄手宮線【前編】

ぶらり大人の廃線旅 第23回

■本物の線路が残る貴重な廃線

色内付近の廃線

 昭和60年(1985)に運転をやめた比較的新しい廃線ということもあって、レールが残されているのは嬉しい。線路の海側に並行して歩道がうまい具合に設置できているのは、かつての複線の痕跡で、戦時中の昭和18年(1943)に「不要不急」としてレールを剥がされて以来の空き地が今に生きた形だ。レールを描いた安手のモニュメントが目立つ昨今の各地の廃線に比べれば、本物のレールが犬釘で当時の枕木にそのまま固定されている迫力は段違いである。

 市街地なので途中で何本もの道路と交差するが、大通りではさすがにレールが撤去された場所もあるが、踏切の警報機が路傍に残されている場所では「一旦停止は不要」と記しているなど、古いものを大切にする小樽の主張が伝わってくる。

 左右を確かめて車道を渡ると、海側に煉瓦造りの倉庫らしきものが見えたので、そちらへ寄り道してみた。行ってみると「旧磯野支店倉庫」とあり、案内板によれば明治39年(1906)に竣功した建物である。蔵には本店の佐渡で醸造した味噌などが収納されていたとのことで、北廻り船の名残がまだ濃厚だった時代を偲ばせる。

 もちろん新潟県から日本海側を回る羽越本線は開通していないから、まだまだ船が主力だったのだろう。そのすぐ近くに残る木造の立派な屋敷は新潟出身の川又健一郎が暖簾分けを受けてこの地に開業したという旧早川支店。明治37年(1904)の大火の後で再建されたという。

歴史的建物(早川支店)

 こちらへ入ってしまうと由緒ある建物が相次いで現われるので廃線どころではなくなってしまう。後ろ髪を引かれる思いで手宮線に戻った。もちろん学術調査などではないから、線路を歩かない区間が多少あっても構わないのだが。(後編へ続く)

次のページ日本銀行の裏手を過ぎて

KEYWORDS:

オススメ記事

今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


この著者の記事一覧