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ひとり歩きする「楽しい老後」に警鐘を

家族をしばってもいけない 60歳からの「しばられない」生き方②

家族にしばられない

 おいしいおにぎりをつくるコツは、ごはんをギュッと固くにぎらずに、フワッと軽くにぎることだと聞いたことがある。

 寿司店すきやばし次郎の次郎さんがにぎるシャリは(その店の職人さんもおなじだろうけど)、なかに空気が入ってフワッとにぎられている、とテレビで観たことがある。おにぎり屋の女将さんもおなじことをいっていた。

 わたしは家族も、そんなフワッとしたおにぎりみたいな家族がいいのではないか、と思っている。これでもかとにぎり固められたものではなく、噛めばホロッと崩れるような、それでいて常態としては軽く形を成しているような家族である。

 そして案外、おれんとこはだいたいそんな感じだよ、つかず離れずかな、という家族が多いのではないかという気がする。

「家族の絆」といい、「家族に支えられた」といい、「家族が一番」という。そのとおりだろうと思う。最終的に信じられるものは家族だけ、ということであろう。

 あるテレビ番組で、こういう父子を観た。これまで一度も優勝したことがない、うだつの上がらないプロの社交ダンス家の父親が、小学生の息子に、今度は勝てそうな気がするから、大会を見にこないかと誘う。

 しかし息子は行かない。テレビスタッフに、なぜ行かないのかと訊かれると、かれは涙を流しながら「子どもでも、目の前で父親が負ける姿を見るのは悔しいんだよ」といった。信じられないほどいい息子だった。父はやはり勝てなかった。こういう感情になれるのは、家族ならではだろう。

 しかしこれはけっして家族の普遍的な姿ではない。「家族の絆」が「家族の鎖」になる姿は世にありふれている。子を支配する親もめずらしくはない。男親だけではない。女親もおなじである。

 両腕に入れ墨をした(ファッションタトゥーか?)若い母親が、男言葉で怒鳴りながら自分の子どもの頭を叩いていたのを、たまたま目撃した。家族は一律には語れない。油に投じられた天ぷらの衣が鍋全体にパッと散り広がるように、バラバラの家族もあるだろう。

 自分の家族さえよければ、という気持ちはどの家族にもあると思われる。正直にいえば、わたしにも、ある。これはたしかに「家族エゴ」ではあろうが、最終的には、そのことはやむを得ないことである。

 しかし、それが露骨になるとさすがに醜いといわざるをえない。よほど切羽詰まった状況にならないかぎり、家族は一応の節度や他人への配慮をもっているものである。「家族エゴ」もそうである。つねにそのエゴを垂れ流しているのは、ただのバカ家族である。

 混んだ電車で、自分はいいが、妻や子どもには座らせてやりたいと思うのは、当然の感情である。父親としてのメンツということだってある。 

 だがそれが、他人の家族を押しのけてもとなると、やりすぎである。もし座れなくても、ちょっとの間、我慢すればいいだけのことだ(長時間となると別だが)。しかしそれでも、人を押しのけて自分の家族だけの安楽を確保したやつの満足気な顔がこつらにくい、ということはある。そんなやつにろくな人生はない。

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勢古 浩爾

せこ こうじ

1947 年、大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に入社、 34年間勤続し、2006年に退職。以後、執筆活動に専念。 著書に『いやな世の中』(ベスト新書)』、『まれに見るバカ』(洋泉社・新書y)、『自分をつくるための読書術』(筑摩書房)、『定年後のリアル』(草思社文庫)シリーズ、『ウソつきの国』(ミシマ社)など多数。


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