能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【後編】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【後編】

ぶらり大人の廃線旅 第22回

恋路の浜から芸術祭の珠洲へ

 次の駅は恋路(こいじ)である。所在地の恋路の地名をそのまま採ったものだが、恋愛成就を祈念する人の間で話題になり、記念切符なども売れたようだ。国道は浜沿いを通るが、砂浜の恋路海岸にはハート型のモニュメントに鐘が吊り下げられており、私が訪れた時は成就の御礼参りということか、幼児連れの若夫婦の姿。海に突き出した凝灰岩のてっぺんにはウミネコが周囲を睥睨している。若い2人には悪いが、コイのつく地名は崖地などの「崩壊地名」の典型とする研究者もいて、恋の崩壊への注意をやっかみ半分に呼びかけているようだ。

 ゆっくり廃駅を味わい過ぎたためか、このあたりで時間の都合上少し急がねばならなくなった。もったいないが飯田駅跡まで8キロほど寄り道せずに車を走らせる。昭和39年(1964)に開業した当初は珠洲飯田(すずいいだ)駅と郡名を冠していたのだが、のと鉄道となった際に飯田と改めた。信州の飯田駅(飯田市)と区別する必要がなくなったためだろう。

飯田駅。国鉄時代は「珠洲飯田」と称した。2017年の夏には線路を敷いて貨車を置き、珠洲国際芸術祭のオブジェに。

 それでも現地へ行ってみるとなぜか「珠洲飯田駅」に表記が戻っているではないか。よく見ればその下に「小さい忘れもの美術館」の文字。新しく貼り付けた様子なので奥へ入ってみると何やら工作中だ。近くにいた数人の若者に話を聞けば、間もなく開催される「奥能登国際芸術祭」の準備だそうで、色とりどりのビニール傘が階段からホームまで点々と突き刺してあったのは、駅で「忘れられる物のチャンピオン」としての意味があるという。驚いたことにホームの目の前のわずかの間、おそらく10メートルほどレールが敷いてあり、青いワムが停まっている。ワムは小型の有蓋車(屋根つき貨車)で、かつて鉄道貨物輸送が盛んだった頃には最も活躍した車両だ。それがオブジェとして活用されるらしい。芸術祭にこんな仕掛けをした話はあまり聞かないが、これも廃線の新しい活用のしかたかもしれない。

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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