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小江戸「川越」の由来は。「河越」か「河肥」、どっち!?

埼玉地名の由来を歩く⑪

全国5位730万人もの人口を抱える埼玉県の歴史を地名で紐解く。地名の由来シリーズ最新刊『埼玉地名の由来』から、著者・谷川彰英が「小江戸」川越の地名の由来を歩く

「河越」か「河肥」か

 川越市はさいたま市、川口市に次ぐ三五万人の人口を擁する埼玉県第三の都市である。「 小江戸(こえど)」で知られる観光都市であり、年間700万人を超える観光客が訪れている。

 川越藩は五代将軍徳川綱吉の側用人(そばようにん)として活躍した柳沢吉保(よしやす)(1658~1714)が藩主を務めたことで、徳川幕府にとって最も重要な藩の一つとしてみなされていた。

 現在蔵造りの建物が並ぶ一番街は、江戸時代からの目抜き通りだったが、明治26年(1893)3月の大火によって多くの家屋を失い、それを教訓にして全体を蔵造り建築に切り替えたものである。

 近年は外国人を含めた多くの観光客が押し寄せているが、その目玉になっているのが、川越のシンボルと言われる時の鐘だ。江戸時代から城下に時を告げてきた鐘つき堂だが、現在の建物は明治の大火後に再建されたものである。

▲川越市 時の鐘

 現在は「川越」と表記するが、古くは「河越」とも「河肥」とも書かれており、「河を越える」意味なのか、「河によって肥えた」意味なのか、いまだに決着を見ていない。

次のページ「河によって肥えた土地になった」意味での「河肥」?

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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  • 谷川 彰英
  • 2017.08.09