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埼玉県「川口」の歴史的名所。善光寺の今の姿が…

埼玉地名の由来を歩く⑥

全国5位730万人もの人口を抱える埼玉県の歴史を地名で紐解く。地名の由来シリーズ最新刊『埼玉地名の由来』から、著者・谷川彰英が川口の地名の由来を歩く。

新芝川の「川口」から

「川口」という地名の由来はいたってシンプルである。『江戸名所図会』に次のように書かれている。

川口の渡し( 往古(むかし)は、こかはぐちといへり。)『義経記(ぎけいきき)』に、九郎御曹司(おんぞうし)奥州より鎌倉に至り給ふといへる条下に、室(むろ)の八島(やしま)をよそに見て、武蔵国立郡(あだちごほり)こかわはぐちに着き給ふ。

 ここに記されているように、この地にかつて「川口の渡し」があり、さらにこの時代には「こかはぐち」と呼ばれていたことがわかる。「こかはぐち」は「小河口」であり、これが「川口」に変わったのは、『新編武蔵風土記稿』によれば、元和8年(1622)台徳院(将軍秀忠)が日光東照宮を参詣した時のことであるとされる。

「川口」というのは文字通り、河川が海に流れ込む口を指す地名ではあるが、この地の場合は、新芝川が荒川に流れ込む口を意味していたというのが通説になっている。

『江戸名所図会』には、「川口善光寺」についての記述がある。そこには「川口村(かわぐちむら)渡場(わたしば)の北にあり。天台宗にして平等山阿弥陀院(びやうとうざんあみだゐん)と号す。本堂には阿弥陀如来・観音・勢至一光三尊(せいしいつくわうさんそん)を安ず」とある。

 さらに、寺伝によると、建久5年(1194)信州善光寺如来の霊告(れいこう)あってここに翌年阿弥陀仏を祀って開基したと書かれている。図で見るように、本堂の向こうに荒川の流れが見える。

 現在の川口市は都市化が進み、古い建造物が少ないため、ぜひこの善光寺だけは拝見したいと思い、訪れてみた。川口駅から南に10分も行くと「金山町(かなやまちょう)」というエリアに入る。この一帯がかつて鋳物工場が林立していた地域であるが、今はほとんどその跡もなく高層マンションなどが建ち並んでいる。その町を越えるとすぐ荒川の堤防にぶつかる。

 善光寺はその堤防の手前にあると思ったのだが、今は何と堤防の上に鉄筋コンクリートの建物がちょこんと建っているだけ……。あまりの光景に目を疑ったが、これが現実であった。

 ご住職に伺ってみたが、火災で焼けてしまって古い資料は何もない上に、荒川のスーパー堤防整備により立ち退きを余儀なくされたため、こんな状態なのだと嘆かれていた。写真を撮る意欲も失ってすごすごと帰途につくことにした。

▲川口善光寺(『江戸名所図会』より)

 時代の流れとは言え、これだけの古刹(こさつ)がこのような現状に甘んじていることが、ひどく悲しい──ということもあって、江戸時代末の絵図を載せることにした。

『埼玉地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)り構成〉

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。



 



 


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  • 2017.08.09