誰も気づいていない!「ニューノーマル」を強制する社会の危なさとは【哲学者・仲正昌樹論考③】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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誰も気づいていない!「ニューノーマル」を強制する社会の危なさとは【哲学者・仲正昌樹論考③】

■オーウェルが描いた「超監視社会」の先駆けアプリ

 フーコーは、人々の生き方を画一的・効率的に管理することを目標とする政治の在り方を、「生政治 biopolitique」と呼ぶ。「生政治」には二つの側面がある。

 人々の年齢構成や職業、収入、家族構成、健康状態などを数理的に把握し、各数値を適正水準に保つために、医療・教育・労働政策などを展開する「生権力」としての側面。統計学や社会調査は、そのための有力なツールになる。

 もう一つは、学校や工場、病院・精神病院、刑務所などの施設に人々を収容し、個々人の行動を監視して、逸脱した振る舞いを記録し、身体的な訓練を通してそれを矯正する「規律権力」としての側面。功利主義の哲学者ベンサム(一七四九-一八三二)は、建築上の構造を利用して、独房の中の囚人たちにいつ看守に見られているか分からないという意識を植え付け、“自発的”に行動を矯正させるよう仕向けることで、効率的に運営される「パノプティコン」という理想的な監獄システムを提案した。フーコーはこれこそが、「規律権力」の根底にある思想だと指摘する。

 超監視社会を描いたジョージ・オーウェル(一九〇三-五〇)の小説『一九八四』(一九四九)では、「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」という印象的なフレーズが使われているが、これは、「いつ見られているか分からない」という意識が、社会全体を覆い尽くした状態だと見ることができる。

 携帯電話のアプリを通して各人の行動が常にチェック可能な状態に置かれれば、「ビッグ・ブラザー」が活動しやすくなる。一般市民同士がマスクをしない人、都会から地方へ移動する人、激しく咳をしている人、歓楽街を歩いている人、感染の可能性のある人をチェックし、自粛を押し付けるのは、ビッグ・ブラザーの具現である。

 フーコーは、こうした「生権力」が生まれてきた背景に、感染病対策の変遷があったと指摘する。前近代社会での感染病対策のモデルは、ハンセン病者の隔離である。ハンセン病にかかった人たちは、穢れを負う者たちとして共同体から排除された。

■ペスト大流行時の潜在的な「敵」とは

 近代初期における感染病対策のモデルになったのは、ペストの封じ込めである。ペストのように感染力が強い感染症の場合、感染の疑いがある人を全て都市の外に追い出したり、抹殺したりするわけにはいかない。そこで、感染が拡大していると思われるエリアを封鎖して、人の出入りを制限した。そのうえで、そこに暮らす住民の家族構成や健康状態を細かくチェックするようになった。それを通して、人々を「人口」として統計的に把握・管理する「生権力」的な手法と、個々人の動向を細かくチェックする「規律権力」的な手法が発達した。

 加えて、一三四七年のペスト大流行の際に、ヴェネチアなどのイタリアの都市国家を中心に、国境線上で人の移動をコントロールし、感染の疑いがある者を一定の期間隔離する「検疫」という制度が発達した。これは国家同士、国民同士の間の線引きを重視する、近代的な主権国家概念の確立に繋がった。「普通」の暮らしを送ってきた同胞たち(「友」)の間に、外から疫病をもたらす(かもしれない)異国人は、潜在的な「敵」と見なされる。

 「生政治」の完成をもたらしたのは、天然痘モデルである。天然痘対策としての種痘を通して、統計学的な知見に基づいて、どのような年齢層に対して実施すれば、最も効率的か計算したうえで、それを受けることを国民に義務付けるのが当たり前になった。「命を守るため」と言われれば、強制的なワクチン接種は、国民の心身の自由に対する侵害とは受けとめられない。いちいち文句を言う輩は「異常」だということになる。

■ナチスは健康を過剰に奨励する帝国だった

  「生政治」は、「ノーマル」なものに対する感覚を広く人々に共有させ、価値観やライフスタイルを画一化するので、多数派による支配である「民主主義」と相性がいい。民主的多数派の支持によって成立するナチスのような全体主義体制とも相性がいい。

 ナチスは、西欧的自由主義を堕落した思想として蔑視し、国民の自由権的基本権を軽視したが、その一方で、本来のゲルマン的な健康な身体を守るため、過剰な健康対策を行ったことで知られている。ユダヤ人や障碍者、同性愛者などの血がドイツ民族のそれと交わらないよう排除しただけでなく、禁煙運動、食生活改善運動、ガン撲滅運動、性病撲滅運動にも力を入れた。ナチスを健康帝国と捉える研究者もいる。

 フロムによれば、危機からの救いを求め、人々が神に代わる、全能の「権威」を求めることによって「全体主義」は可能になる。近代社会は、神を放逐し、宗教によって裏打ちされた古いヒエラルキーを解体することによって誕生した。しかし、ペストやコロナのような、どこに潜んでいるのか分からない異物によって社会全体の安全が脅かされる時、人々は、科学的な装いをした新しい権威を求める。ナチスは(疑似)科学的な世界観によって人々に、健康な身体を与えてくれるユートピアを約束した。「ニューノーマル」は、どのような「権威」あるいは「権力」と結び付き、どのような「ノーマルさ」の感覚を生み出すのだろうか?

哲学者・仲正昌樹氏
新刊『人はなぜ「自由」から逃走するのか~エーリヒ・フロムとともに考える』KKベストセラーズ、824日発売)

全体主義とは何か?

「右と左が合流した世論が生み出され、それ以外の意見を非人間的なものとして排除しよ うとする風潮が生まれ、異論が言えなくなることこそが、全体主義の前兆だ、と思う」(同書「はじめに」より)

なぜ今、「自由からの逃走」なのか?

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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