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8月15日は戦争記念日【写真で見る戦死と敗戦75年のいま】

◼︎人災と天災の同時多発——戦争はビッグビジネス

1945年3月10日、東京大空襲。警防団と思われる焼け焦げた遺体の山。死者・行方不明者は8万人、民間の調査では10万人以上といわれている(写真:石川光陽撮影/パブリック・ドメイン)

 4-6月期は一部上場企業の3割が赤字、6月の非正規雇用は104万減だが、現在進行形のまだ序の口だ。秋になれば社会経済的インパクトは重症化する。会社が倒れる。仕事がなくなる。金もなくなる。人も去っていく。行くあての無い人はどうする。暮れと正月は、未曾有の懐の寒さに見舞われる。平民はそのことを話題にはしない。メディアもまだ触らない。話題にしても仕方がない。不吉な話はしてはいけない。日本にはコトダマがある。経済がダメになって、倒産失業があふれ、巨大災害がおきる。そして、戦争が始まる。人災と天災の同時多発とは、悪い冗談のようだが、およそ100年前に実際に、立て続けにおきたことだ。

 戦争は仕掛けるものでありながら、仕掛けられるものだ。仕掛けるように仕掛けられることも不可避であることは、歴史を見ればわかる。正義の聖戦と言おうが、やむにやまれぬ自衛戦争と言おうが、戦争であることに変わりはない。孫子は「兵は詭道」と言った。戦争にフェアプレーはない。全面戦争に至らずとも、国境紛争や内戦をはじめとする軍事衝突は世界中で年がら年中起きている。75年間、一人の戦死者も、一発の弾丸砲弾も発射せずにこれたことは立派だが、祈るばかりで平和は続かない。戦争は誰かにとって必要だから起きるし、起こされる。原爆も誰かに必要だから二個も落とされた。ならば次の戦争はいつ、どこか。次の核兵器使用はいつ、どこか。日本を巻き込む戦争は、いつくるのか。そして、その時、平民はいかに生きるべきなのか。祈るヒマがあったら、これを考えたほうがマシだ。

1939年8月、ノモンハンの広大な平原を進軍する日本陸軍第23師団の兵士(写真:パブリック・ドメイン)

 戦争は国家ぐるみのビッグビジネスだ。戦争はもうかる。戦争が始まれば、それが仕事になる。相場が生まれる。特需もある。失業も解消される。高揚感がある。平和を唱えるNHKも、新聞もワイドショーも、戦争のプロモーションを始める。学校も商店街も芸能界も将兵を応援する。アイドルも戦争の歌をうたう。そして、ほかならぬ平民が戦争を支持する。これは間違いないことだ。そういう時代が来たらどうするか。そのことを想像するのは自由だ。その自由があるうちは、まだ大丈夫だ。75年間で日本は大きく変わった。政界の世襲、財界の老害がこんなにも進んだ。格差は広がり、次世代に引き継がれる。生まれと育ちが固定化し、階級化していく。引きこもりといじめと自殺と虐待は、表からは見えない深い闇だ。移民を否定しながら外国人を使役するシステムは定常化した。中央官庁の劣化堕落、報道機関のヘタレと思考停止は説明の必要が無い。道徳を求める資格の無い者たちが道徳を語るおぞましさには、耳が慣れてスルーしている。
 75年後の今日、平民は自由なのか。
 
 100年前の世界、100年前の日本の状況と現在の類似性が指摘される。100年前の世界には、ナショナリズムやマルキシズムを筆頭に、あらゆる思想が渦巻いていた。現在、世界がネットでつながり、それぞれの社会が細かな規則であふれる一方で、規範が空洞化、形骸化し、アノミー(規範、規則の無い状態)が進む。公的システムが破綻する。そんな世界なら、また大規模な戦争が始まり、どこかで核兵器が使われてもおかしくない。

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猫島 カツヲ

ねこじま かつを

ストリート系社会評論家。ハーバード大学大学院卒業。

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