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防波堤になった“浮かべる城”前篇

外川淳の「城の搦め手」第21回

 先日、四国の宇和島城や大洲城などを城巡りサークル・歴史探偵倶楽部の「同志」と攻めた。その翌日は、広島へ移動して小早川隆景の新高山城などを1人で攻める予定だったのだが、なんだか、風邪のひきはじめという感じがぬぐえず、慎重に行動。月内締切という急な仕事が数日前に依頼され、風邪をひいたら、お手上げ状態となってしまう。アラフィフともなると、無理はできず、レンタカーで温泉を巡りながら、空港へ向かうという体力温存のコースに切り替えた。

 その途中、呉市安浦町の海岸線を走行していたところ、戦標船「武智丸」の案内板を発見したので立ち寄ってみた。

 戦標船とは、戦時標準船の略称であり、第二次世界大戦中、空襲や潜水艦の雷撃により、多くの輸送船を失った補填のため粗製乱造された船舶のことを意味する。そして、鉄鋼が絶対的に不足するなか、考案されたのが、鉄筋コンクリート製の戦標船であり、4隻が完成。そのうちの「第1武智丸」と「第2武智丸」の2隻は安浦漁港において防波堤として第2の人生を送っているのだ。

 

 左側が「第1武智丸」、右側が「第2武智丸」。船尾と船尾を接合して防波堤の役割を果たす。大量生産のため、船舶特有の緩やかなカーブを廃し、直線的な形状は、鋼鉄製の戦標準船と共通する構造的特色。

 

 現状でも、船首部分の碇を巻き上げる設備が残されており、想像よりも船舶としての姿を感じとることができた。

 

 いまも、鉄筋がむき出しとなり、鉄筋コンクリート製の船舶という特殊な形状が理解可能。コンクリートで船を作った努力に心動かされるというより、そこまでして戦闘を継続しようとした国家上層部の判断能力の劣化に対し、空虚さを覚えた。

 さて、標題の「浮かべる城」には、軍艦ではない戦標船だけでは羊頭狗肉の感がある。そこで、次回は、やはり北九州市の若松港で防波堤として再利用されている駆逐艦「柳」を紹介したい。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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