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「走・攻・防」に秀でた第二次大戦期のドイツ軍戦車

「ロンメル親衛隊」、海岸に突破せよ! ~Dデー当日に実施された唯一のドイツ軍戦車部隊の反撃とIV号戦車~ 第6回

「Dデー」――ノルマンディー上陸作戦決行の日であった1944年6月6日、連合軍優勢の中、ロンメル元帥率いるドイツ軍戦車部隊(装甲師団)の反撃があった。Dデーにいたるまでのロンメル元帥を追う。

IV号戦車は当初、短砲身7.5cm砲を搭載していたが後期には写真のように長砲身7.5cm砲を搭載し、より強力な主力戦車ながら生産が需要に追い付かないV号中戦車パンターと併用された。

鉄十字のワークホース、IV号戦車

前回はこちら:第一次大戦後のドイツ軍の合理的な戦車開発

 前回に記したごとく、当初IV号戦車はIII号戦車と対になる火力支援戦車として開発された車種だった。両戦車とも1935年に開発が始まり、主力戦車とされたIII号戦車には、秘匿名称としてドイツ語で小隊長車を意味するZugfuhrerwagenを略したZWの略号が、また、IV号戦車には大隊長車を意味するBataillonsfulerwagenを略したBWの略号が付与された。

 1930年代初頭、世界の対戦車砲の主流は37~40mmであった。というのも、当時の戦車の装甲はこのクラスの小口径高初速砲で貫徹できる程度の厚さであり、ゆえに多くの戦車生産国では、対戦車砲を車載用に改造したものが戦車砲に用いられていた。だが、全体がムクの金属で造られており、運動エネルギーの力で敵戦車の装甲板を貫く徹甲弾ではなく、内部に炸薬が充填されており、その爆発力が砲弾威力の源となっている榴弾の場合は、砲弾が大きければ大きいほど炸薬充填量も多くなり、威力も大きくなる。

 このような理由で、初期のIII号戦車には対戦車砲を改造した3.7cm砲が搭載され、火力支援戦車のIV号戦車には、砲弾の速度こそ遅いが口径が大きく榴弾威力に優れた短砲身7.5cm砲が搭載された。そして、例えば歩兵陣地突破の際などに口径が小さく榴弾威力が弱いIII号戦車の3.7cm砲では事が足りなくなった場合、IV号戦車の7.5cm砲の大威力の榴弾に頼るのである。

 また、7.5cm砲の徹甲弾は速度こそ遅いが大きいうえに重量があるため、小口径高速の3.7cm砲の徹甲弾が文字通り装甲板を貫くイメージなのに対し、同弾は重量のある徹甲弾をぶつけて装甲板を叩き割るというイメージの装甲貫徹力を発揮した。

 

 ところが第二次大戦が勃発すると、戦車の「走・攻・防」こと機動性、火力、装甲防御力は急速に進化。III号戦車もより大口径の戦車砲へと換装したが、結局、砲塔規模の限界で短砲身7.5cm砲までしか搭載できず、主力戦車の座をIV号戦車に譲ることになった。同車はIII号戦車よりもわずかながら大造りだったことが幸いし、短砲身7.5cm砲をより大威力の長砲身7.5cm砲に換装できたため、大戦中期から末期まで主力戦車の座に在り続けられた。また、IV号戦車の車体は駆逐戦車、突撃砲、対空戦車、自走砲などにも流用されており、「働き者」の同車を、ドイツ軍将兵たちは“ワークホース”の渾名で呼ぶこともあった。

 こうして第21装甲師団の主軸、第22戦車連隊にはIV号戦車が配備された訳だが、この時期には、すでに長砲身7.5cm砲搭載のIV号戦車よりも強力なV号中戦車パンターが戦力化されていた。しかしパンターは、より強力な戦車を火急に必要としていた継戦中の部隊へ優先的に供給されており、当時は緊急性が認められなかった第21装甲師団には配備されていない。

 ちなみに、第22戦車連隊には長砲身7.5cm砲搭載IV号戦車113両、短砲身7.5cm砲搭載IV号戦車6両が配備されていたという説のほかに、前者96両、後者21両という説もある。どちらにしても、大戦後半の1944年に至ってもまだ初期の短砲身7.5cm砲搭載型が残っていたことは興味深い。

◎次回は7月12日(水)に配信予定です。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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