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「残堀」「恩方」「廿里町」…難読地名で読む東京多摩 

第3回 難読地名の不思議

「廿里町」、読み方と由来は?

(C)国土地理院/地理院タイル/標準地図

 同じ八王子市だが、「廿里町」という難読地名もある。JR高尾駅の北側にのびる高尾街道に沿って広がる町名で「とどりまち」と読む。高尾駅北口から北へ進むと、右に武蔵野陵墓地の森が広がっているし、左には多摩森林学園の森がつづく。大部分は廿里山(標高340メートル)の山地だから、坂道が多い。

 このあたり一帯が廿里町だが、地名の由来については諸説あって、定説はない。しかし、京都からの距離が百里(約四百キロメートル)なので、中国式に「十十里」と書き、「廿里」になった、とする説が有力とされている。

 永禄12年(1560)、滝山合戦が行われたが、武田信玄の重臣・小山田信茂の軍勢が侵攻。滝山城(八王子市丹木町)を守っていた北条氏照の家臣・横地監物が廿里山で迎撃したものの、武田軍に敗北したと伝えられる。廿里町には、このような歴史もある。

(C)国土地理院/地理院タイル/標準地図

 青梅市にある「塩船」も、すんなりとは読めない。JR青梅線を西へ進むと、多摩川の流れに沿って屈折しながら奥多摩に向かう。近年開発が進んだとはいえ、まだまだ自然がいっぱいの地域だ。

 このような海のないところで「塩船」という町名は、不思議である。大化年間(1645~649)、千手観音を安置したのがはじまりと伝えられる塩船観音寺(青梅市塩船一九四)によれば、名の由来は次のようなことだという。

 周囲の地形が小丘に囲まれ、船の形に似ていることから、仏が済度する誓いの船になぞらえて天平年間(729~748)、僧の行基が名づけたと伝えられている。

 「塩」のつく地名は、ほかにもあるが、塩をつけた土地は、一般的に水を含むと粘性をもつ土地とされ、作物がよくとれるという。

(C)国土地理院/地理院タイル/標準地図

 JR青梅線に「軍畑」という駅がある。永禄6年(1563)、北条氏照とこのあたりの豪族三田綱秀とが戦ったところだ。綱秀は奮戦したものの、家臣の裏切りで敗北した。この合戦から軍畑の地名が生じたというが、現在は沢井1丁目に含まれ、駅名や橋の名として残るだけである。

 

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中江 克己

なかえ かつみ

北海道函館市生まれ。河出書房、思潮社などの編集者を経てノンフィクション作家。江戸を中心に、歴史の意外な側面に焦点を当てて、執筆をつづけている。



著書は『大江戸〈奇人変人〉かわら版』(新潮社)、『忠臣蔵と元禄時代』(中央公論新社)、『徳川将軍百話』(河出書房新社)、『日本史の中の女性逸話辞典』(東京堂出版)、など多数。ほかに染織文化にも造詣が深く、『色の名前で読み解く日本史』(青春出版社)、『歴史にみる日本の色』(PHP研究所)『江戸東京の地名散歩 歴史と風情を愉しむ』(ベスト新書)などの著書も多い。



 


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