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「今日を死ぬことで、明日を生きることができる」ネルケ無方氏の金言

今日を死ぬことで、明日を生きる⑦

「いまを生きる」ということは、「今日が自分の最期の日になるかもしれない」と思って生きるということです。そうすることで、今日という日を、自分の人生の中で最善の一日にすることができるでしょう。(本文より)日本仏教に魅せられたドイツ人禅僧、ネルケ無方の新刊『今日を死ぬことで、明日を生きる』より、珠玉のエッセイを紹介。生きるヒントが必ず見つかります。

いまを生きるというのは、今日一日を死ぬこと

「いまを生きる」ということは、「今日が自分の最期の日になるかもしれない」と思って生きるということです。

 そうすることで、今日という日を、自分の人生の中で最善の一日にすることができるでしょう。

 もし最善の一日ではなかったとしても、それなりに自分で頑張ったならばそれでいい。

 次の日こそ自分の最期の日、次こそ最善の一日にしようと思えばいいのではないでしょうか。ですから、過去を振り返り、過度に後悔する必要はありません。

 仮に16歳の自分に戻れたとしても、16歳の自分に満足するでしょうか。「早く大人になりたい」「早く家を出て社会人になりたい」と、その時点で欲する別の自分になりたいと思うはずです。

 人生をサラミにたとえるなら、「別の切り口に自分の求めるものがある」と考えてしまいます。

 しかしよくよく考えると、どこを切っても同じ、切ったところがその時

点の「いま」なのです。

 いま何ができるかというと、このサラミのスライスを100%生きることです。このスライスさえ味わうことができたら、次のスライスも、その次のスライスも満喫できるでしょう。

 たとえ無駄なところがあったとしてもかまいません。その無駄だったという思いがバネとなってこそ、いまを生きることができるかもしれないのです。

               *

ネルケ無方 撮影:さとうわたる

 また、いまを生きるというのは、今日一日を死ぬことでもあります。

 なぜなら今日という日は二度と戻ってこないからです。

「今日を生きる」ためには、昨日の自分を手放さなければなりません。昨日の自分を引きずることなく、今日を100%で生きていれば、昨日の自分はすでに死んでいます。

「今日を死ぬ」という覚悟は、決してネガティブなことではありません。そうではなく、いまを楽に生きられるために必要な気づきなのです。

 昨日の自分を手放すことで、はじめて今日という一日を自由に生きられるのです。

明日は「おまけ」だと思って、
今日を生きる。

今日を死ぬことで、明日を生きる』より 次は『ありのままでもいい、

ありのままでなくてもいい』⑧です。

 

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ネルケ 無方

ねるけ むほう

 禅僧。曹洞宗「安泰寺」堂頭(住職)。ベルリン自由大学日本学科・哲学科修士課程修了。 

1968年、ドイツ・ベルリンの牧師を祖父に持つ家庭に生まれる。

16歳で坐禅と出合い、1990年、京都大学への留学生として来日。

 兵庫県にある安泰寺に上山し、半年間修行生活に参加。1993年、出家得度。

 「ホームレス雲水」を経て、2002年より現職。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている。

 著書に、『ドイツ人住職が伝える 禅の教え 生きるヒント33』(朝日新書)、『禅が教える「大人」になるための8つの修行』(祥伝社新書)、

 『迷いは悟りの第一歩』(新潮新書)、『日本人に「宗教」は要らない』(小社)などがある。 


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