マリアナ沖海戦と小沢治三郎中将② | BEST TiMESコラム

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マリアナ沖海戦と小沢治三郎中将②

必勝のアウトレンジ戦法で
米軍機動部隊を迎え撃つ

 

 これを聞いた小沢は「いつかは自分も同じ運命をたどらねばなるまい」と側近にもらしたと伝えられる。

昭和17年(1942)11月1日、小沢はミッドウェー海戦後に再編制されていた第3艦隊司令長官に就いた。航空戦術の第一人者と目されていた小沢だが、実際には機動部隊の作戦経験がなく、翌1810月~12月のブーゲンビル島沖海戦では、同艦隊の第1航空戦隊(ろ号作戦で空母からラバウル基地に移動)と基地航空部隊を指揮するが、航空機の損傷が激しく、作戦は打ち切られた。戦歴だけを見れば決して名将とは呼べない。

昭和19年3月1日、第3艦隊と水上部隊の第2艦隊とで第1機動艦隊が編制され、小沢は司令長官を兼ねた。

大本営は5月3日、「あ号作戦」を陸海軍に指示した。これはサイパンもしくはパラオに進攻する敵機動部隊を陸・海軍の総力でもって撃滅する作戦だった。作戦の指揮官には小沢が指名された。

小沢はアメリカ軍との決戦ではアウトレンジ戦法で臨むことにした。これは航空戦力の劣勢を挽回するため航続距離でまさる零戦、艦攻「天山」、艦爆「彗星」を敵機が飛び立てない遠距離から発進させ、先制攻撃をしかけるものである。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松田 十刻

まつだ じゅっこく

1955年、岩手県生まれ。立教大学文学部卒業。盛岡タイムス、岩手日日新聞記者、「地方公論」編集人を経て執筆活動に入る。著書に「紫電改よ、永遠なれ」(新人物文庫)、「山口多聞」(光人社)、「撃墜王坂井三郎」(PHP文庫)など。


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