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原爆投下予定地は長崎ではなく、小倉だった?!

『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』刊行記念。福岡の地名と歴史を訪ねる旅へ【第七回】

不輕寺の慰霊碑(写真:一坂太郎)

 

 

◆第二目標の長崎に向かったのはなぜか

 昭和二十年八月九日午前二時四十九分(日本時間)、「ファット・マン」と通称された原爆を抱いたB-29「ボックスカー」は、テニアン島を離陸した。今度は投下の第一目標が小倉、第二目標は「山が多い」との理由で反対意見が多かった長崎である。
 同機は午前九時五十分に小倉上空に至った。
 ところが、小倉は雲に覆われていた。隣の八幡市の、前日の空襲による煙が立ち込めていたともいう。そのため四十五分間、小倉上空を旋回することになる。使用可能な燃料は限界ぎりぎりで、ついに小倉をあきらめて、第二目標の長崎へと向かった。
 長崎も雲の海だった。だが、雲の切れ間を見つけて午前十一時二分、人類史上二発目となる原爆が、投下される。十日午前二時過ぎ、昭和天皇は涙をのんでポツダム宣言受諾に賛する旨を述べ、十五日、終戦の詔勅が発せられた。
 戦後、原爆投下の第一目標であったことが知らされるや、長崎が小倉の身代わりになったのではと、心を痛める小倉市民も多かった。こうして小倉の市民と市議会は、原水爆禁止運動の先頭に立つ。昭和三十一年、小倉で全国市議会議長会が開催されたさい、原水爆実験禁止と核保有国への抗議が決議された(新藤東洋男『明治・大正・昭和の郷土史40福岡県』昭和五十六年)。
 造兵廠があった勝山公園(北九州市小倉北区城内)には昭和四十八年、「平和祈念碑」が建てられた。傍らには長崎市から贈られた「長崎の鐘」が安置されており、毎年八月九日には市民による慰霊祭が行われている。また、小倉出身の住職が長崎で被爆したため、不輕寺(北九州市小倉北区赤坂)には関係者の慰霊碑が建っていたりする。

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  • 一坂 太郎
  • 2016.04.09