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ミッドウェーでは主力空母4隻の損失とともに、優秀な搭乗員の損失がダメージに

太平洋戦線のターニングポイント ミッドウェー海戦の真実 第6回

 

前回はこちら:主力の4空母損失の報に接しても表情ひとつ変えない山本五十六の真意

 ミッドウェー海戦の敗報に表情一つ変えなかったという山本五十六。ただ考えてみると、大声で叱責を繰り返すとか、その場で責任を問い処分を言い渡すとか、このようなことはとうてい最高指揮官として出来るはずもない。
 だいたい古くから東郷、乃木といった日露戦争時の陸海軍の将官たちは、その位が高ければ高いほど、勝敗に関係なく無表情を貫いている。これが日本の将星がもつ一般的な態度なのかもしれない。これとは正反対に、感情を直に表し、部下を怒鳴りつける高位の指揮官は、いずれも猛将といわれたアメリカ海軍のW・ハルゼー、陸軍のJ・パットンくらいであろうか。

 しかし表面的にはともかく、山本の心のなかは察するにあまりある。主力の大型空母6隻のうち4隻を失ったのである。さらに残りの2隻のうち、翔鶴は珊瑚海海戦の損傷の修理が終わってない。
 これに輪をかけて痛手となったのは、優秀な搭乗員の損失だった。たしかにミッドウェー海戦でアメリカ軍の損耗も小さくはなかった。しかし搭乗員一つをとっても養成の速度には大差がある。
 そのうえ口にはださなかったものの、山本にはどうしても納得できない事実も残った。
 優柔不断の傾向があり、かつ戦場において失態を重ね、敗北の責任者たる南雲が生き残り、それとは反対に的確な判断、強烈な闘志を燃やして日本艦隊を零敗の汚名から救った次席指揮官山口多聞が戦死したのである。
 山口はとるべき必要のない責任を負って、空母飛龍と運命を共にした。一方南雲は……という気持ちを少なからず山本は持ったにちがいない。したがって口にはださないが、腹のなかは煮えくりかえっていたと推測される。

 ただミッドウェー攻略作戦の総責任者としては、大きな失敗があっても前線の指揮官を糾弾することは出来なかった。たしかにそれまでの勝利に酔い、驕り、油断をもったまま世紀の大海戦に挑んだ最終的な責任は、彼自身にあったからである。
 それにしても山本にとってミッドウェーの敗戦は衝撃的であったに違いない。6月初旬のこの戦いの後、日本海軍は積極的な作戦を実施しなかったことが、何よりの証拠であろう。そして2か月後、ガダルカナルにおけるアメリカ軍の大反攻が幕をあける。今度は日本軍が守勢にまわり、その対応に追われるので、山本の決断は次の「い号作戦」まで持ち越されるのである。

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三野 正洋

みの まさひろ

作家、NPO法人「DEM博物館を創る会」理事。1942年千葉県生まれ。大手造船会社にて機関開発に従事の後、日本大学准教授(一昨年定年退職)『日本軍の小失敗の研究』(正・続、光人社)、『「太平洋戦争」こう戦えば…―「If」の太平洋戦争史』(ワック)ほか著書多数。


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