【主力の4空母損失の報に接しても<br />表情ひとつ変えない山本五十六の真意】 | BEST T!MESコラム

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主力の4空母損失の報に接しても
表情ひとつ変えない山本五十六の真意

太平洋戦線のターニングポイント ミッドウェー海戦の真実 第5回

 

前回はこちら:ミッドウェー海戦の定説である“運命の5分間”はなかった!?

 ミッドウェーの戦いにて機動部隊が危機に陥っている状況を知ったとき、山本座乗の大和をはじめとする主力艦隊は、どのような手を打ったのであろうか。

 本来ならミッドウェー島への砲撃、炎上する空母の消火と曳航なども考えられたが、いずれも数百キロ後方であっては、どうすることも出来なかった。ここでも形だけ出動した、戦艦部隊の無様ともいえる状況が明確になる。

 この大海戦において、日本側には飛龍の孤軍奮闘ぶりを除けば、評価できる部分は皆無であった。たしかに、緊急時に見事な判断を見せた山口多聞少将、母艦に帰投できないことを承知で出撃していった飛龍の友永丈市大尉、敵の警戒網を突破してヨークタウンを撃沈したイ168潜水艦の乗員などは、充分に賞賛に値する。

 しかし彼らも山本をはじめとする連合艦隊上層部の失態を、取り消すことにはならなかった。

 世界最強と信じた機動部隊の敗北と、貴重極まりない4隻の空母の喪失を聞いた海軍の最高指揮官山本五十六の態度はどのようなものだったのか。

 敗報が伝えられたおりには、表情を変えずに、ちょうど指していた将棋をそのまま続けたとされる。また、あとになって機動部隊の指揮官であった南雲忠一中将が泣きながら報告し、「強力な機動部隊を再建し、この敗北の仇をとらせていただきたい」と述べた際に静かにうなずいた、といった様子が断片的に残されている。しかしそれ以上の記録はなく、詳細は不明のままである。

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三野 正洋

みの まさひろ

作家、NPO法人「DEM博物館を創る会」理事。1942年千葉県生まれ。大手造船会社にて機関開発に従事の後、日本大学准教授(一昨年定年退職)『日本軍の小失敗の研究』(正・続、光人社)、『「太平洋戦争」こう戦えば…―「If」の太平洋戦争史』(ワック)ほか著書多数。


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