【奇橋・猿橋がちらりと見えた中央本線の旧線を歩く【後編】】 | BEST T!MESコラム

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奇橋・猿橋がちらりと見えた中央本線の旧線を歩く【後編】

ぶらり大人の廃線旅 第14回

写真を拡大 旧版地形図に描かれた旧線 1:50,000「上野原」昭和4年修正(2倍拡大)+1:25,000「大月」昭和4年測図

写真を拡大 1:25,000「大月」平成24年更新に書き込み。赤い線が旧線、オレンジ色は歩いたコースを示す。

削られた築堤と山腹のトンネル

 水路橋の西側の国道は、下り車線が崖から突き出した険しい地形で、その山側を歩道で過ぎるとあたりが開ける。新道という集落で、開渠の水路の北側には長らく汽車が走る高い築堤が放置されていた。ずっと以前にこの廃線を歩いた時には草の生えた堂々たる築堤が印象的であったが、いつの頃か撤去されて今はない。築堤から汽車は国道を跨線橋で跨いでその先の大原隧道へ入っていたはずであるが、今ではハシゴを外された形となり、山の中腹のような場所に隧道の入口がぽっかりと開いている奇妙な光景である。そのトンネル入口からは丁寧にも虎ロープが下がっていてよじ登るのを推奨しているかのようだったが、今回はその誘いには乗らない。

 引き続き国道を歩けば「東京から90km」のキロポストが民家の脇に建てられていた。勝沼までは31kmという。ほどなく旧道が右手へ分かれていく。そちらへ行かずに直進すれば現在の国道橋「新猿橋」を渡ることになるが、旧道は三角形の二辺を通るルートで奇橋・猿橋を経由している。この旧道を歩いて行けば、大原隧道の出口にたどり着くはずだ。

 やがて重厚な石造りの塀のような構造物が道の石垣に隣接しているのが見えてくるが、これがトンネルの出口上部である。入っていいのか躊躇しつつも、おそらく民家の階段を「失礼しまあす」などと声をかけつつ図々しく降りて行けるようになったのも年の功だろうか。若い頃なら土手の急斜面は大丈夫だった反面、こういう場所にはなかなか近づけなかった。

 そもそも廃線歩きなどというものは、意図の有無にかかわらず私有地へ侵入してしまうものである。だからその場に人がいれば通っていいか声をかけ、そこで廃線にまつわる貴重な話など聞けたりすれば幸いだ。もし人がいなければ黙って通ってしまう。ただしこれは私個人の話であって、もし本稿を参考にして同じ廃線を歩いた人が不審者扱いされてお巡りさんに連行されたり、猟師に鉄砲で撃たれたとしても、私の知ったことではない。これが大人の廃線歩きである。

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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