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出家した直虎はなぜ、尼ではなく僧だったのか?

女? それとも男? 2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公、井伊直虎とは? 

なぜ尼僧ではなく僧の名前なのか

 直虎の尼になりたいという、突然の娘の申し入れに、両親はびっくりする。

 予想もしなかった娘の行動である。両親は引き留めた。「総領家の娘として、婿を取って総領家を守り継ぐことが、そなたの定めだ」と説得したが、直虎は「亀之丞様は一族の血を濃く引くお方。私なしでも総領家の養子となって、井伊家を差配すればよろしいのです」といって、一歩も引かなかった。
 
 余りの意志の固さに両親は匙をなげ、やむなく認めるしかなくなる。
 
 しかし『井伊家伝記』によって、父直盛がその出家に条件を付けたことが分かる。南渓に「尼の名をつけてはならぬ」と命じたのである。これに直虎が反発して尼名をくれることを望んで、両親との間でいを起こしたのだ。それをなだめ、直虎に次郎法師という僧名をつけたのは南渓であった。
 
 直盛夫妻は、娘がいつか俗世に戻ってきて、結婚し、子供をなしてほしいという夢を捨てきれなかった。

 だから尼名ではなく僧名を南渓に頼んだ。南渓が承諾し、直虎に僧名をつける。これには真に井伊家を思う南渓ならではの読みもあった。
 
 つまり亀之丞がどうなるか、その将来はおぼつかなく、総家の血を引くのは唯一直虎だけで、一族のものにも適任者はいない。万が一の場合、直虎を還俗
させて井伊総領家の当主にする非常事態が起こるとも限らないと踏んだのだ。そこで直虎を説得して次郎法師の名を出家名にさせたのである。

直虎以外にも還俗した尼僧がいた

 ではなぜ、尼名では還俗できないのか。当時の常識では、尼僧は還俗できないが、僧侶は問題ないとされていたのだ。
 
 なぜかといえば、時代は戦乱である。男たちは戦いで次々と死んで、出家した者しか男子が残っていない場合が決して珍しくない時代であった。
 
 井伊家を苦しめる今川義元も兄がたてつづけに死んで、出家していたが還俗した。上杉謙信や龍造寺隆信など還俗して活躍した武将は多い。ところが女性はほとんどないとされてきた。しかし今回、「直虎」を書くにあたって、私自身が調べたところ、尼を捨て、自らの意志で俗世に戻って活躍した女性は皆無ではなかった。

 龍造寺隆信の母である慶誾尼には、夫に死なれて出家したが、隆信が信頼にたる家臣を得るには、兄弟を得るしかないと決断、鍋島直茂に目をつけ、その重臣の父・清房のもとに還俗、押しかけ結婚して、直茂の継母となり、直茂を隆信の弟にした。

 また室町幕府の管領・細川政元の姉は醜女で結婚できず出家し、洞松院尼に
 と号された。しかし政略の道具に使われて還俗させられ、赤松政則の妻となり、政則の死後は赤松家を大きく発展させ、女戦国大名といわれた。
 
 ただ井伊家のある東海地方では、そのようなことはなく、尼は還俗できないと思われていたようだ。そこで直虎は髪は肩のあたりに切り、白い頭巾をかぶり、黒染めの衣の尼僧姿だったが、僧侶として扱われ、次郎法師と呼ばれたのである。

『女直虎が救った井伊家 (ベスト新書)』より構成)

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楠戸 義昭

くすど よしあき

1940年和歌山県生まれ。立教大学社会学部を卒業後、毎日新聞社に入社。学芸部編集員を経て歴史作家に。著書に『戦国武将名言録』『この一冊でよくわかる!女城主・井伊直虎』(以上PHP文庫)、『吉田松陰「人を動かす天才」の言葉』『坂本龍馬の手紙 歴史を変えた「この一行」』(以上三笠書房・知的生きかた文庫)、『山本八重』『文、花の生涯』『井伊直虎と戦国の女城主たち』(以上河出文庫)ほか多数。


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