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「尼崎戦国散策②近世尼崎城跡の1」

季節と時節でつづる戦国おりおり第273回

 大物主神社から進路を東にとりましょう。ほどなく住宅地の中に深正院(じんしょういん)という格式高そうなお寺が見えて来ます。江戸時代中期の尼崎藩主・松平家の菩提寺で、近世尼崎城の本丸御殿の一部が移築されていたそうですが、空襲で焼失してしまいました。近世尼崎城の築城者は戸田氏鉄。豊臣秀吉が豊国廟に埋葬された状況をレポした人物です。
 

 

 深正院から阪神高速をながめて南下し、手前で西へ右折すると、尼崎市の文化財収蔵庫があります。
 

 

 

 この敷地はかつて女学校、小学校、高校、中学校と使われ続けたそうですが、今は子供たちの声も無く建物は地元の歴史を学ぶ拠点として再活用されています。写真は正門を入ってすぐ正面にある「尼崎城天守遺跡」の石碑。この石碑自体が校舎の建て増し建て替えなどのたびに少しづつ動かされているとの事ながら、だいたいこのあたりに近世尼崎城の天守台跡の小丘が存在したとの事。天守は4層だったそうな。

 実は今回の尼崎めぐりは、この収蔵庫で開催されていた企画展「大坂の陣と尼崎」を見学するのが第一目的でした。ここで前回のブログの冒頭を再読していただきたく。展示のサブタイトル「冬の陣の戦雲は尼崎から」の通り、尼崎合戦が大坂冬の陣の始まりを告げる号砲となったのでした。

 展示の目玉(私的に)は「慶長十九年大坂冬御陣図」。この絵図に描かれた真田丸は黄色く彩色された方形の構えが、水色に彩色された堀を越えて城内へと続いています。奈良大学の千田教授の説く「真田丸独立郭」論とはまた違う図ではありますね。
 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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