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ヤマト建国の謎、物部氏はどこからやってきた?

黎明期のヤマト建国を考察する ●シリーズ⑤地形で読み解く古代史重要地点

常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、『地形で読み解く古代史』絶賛発売中。釈然としない解釈も、その地にたてば、地形が自ずと答えてくれる!? 古代史重要地点をシリーズで紹介いたします。

それぞれの勢力の出身地を確認する

 ヤマト建国の事情に関しては、このあとじっくり考えるが、各地から諸勢力が集まってきたことは分かっていて、おそらく建国当初は、主導権争いがしばらく続いただろうし、疑心暗鬼も生まれただろう。

 だから、黎明期のヤマトは、緊張感に満ちた調整期間だったにちがいない。

 当然、いったんことが起きれば、一番安全な場所にいたいというのが、本心であろう。

 そこで、具体的に、どこからやってきた人たちが、奈良盆地のどこに住んだのかを探っていくと、興味深い事実が浮かび上がってくる。

 やはりみな、故郷にすぐに戻れる場所を選ぶのだ。それがもっとも分かりやすいのは、近江(滋賀県)を代表する和邇(わに)氏(枝族に春日氏や小野氏がいる)で、彼らが陣取ったのは、盆地の北側、現在の奈良市付近だ。

 藤原氏の氏神を祭る春日大社は、もともと和邇系春日氏の聖地だった。平城京遷都(七一〇)に際し、藤原氏に追い払われたわけである。

 なぜ和邇氏は奈良盆地の北部を選んだかといえば、近江に近かったからだろう。

 瀬田川(せたがわ)(宇治川)を下り、木津川流域の南山城(みなみやましろ)から奈良盆地北部にかけて、勢力圏を広げていたのである。

 

 生駒山の西側の河内に陣取ったのは、物部氏と中臣氏だ。

 『日本書紀』『古事記』『先代旧事本紀(せんだいくじほんき) 』などに、物部氏の祖は天磐船(あまのいわふね)に乗って、舞い下りてきたニギハヤヒ(饒速日命)とある。天神の子だから、天上界(高天原)からやってきたということになる。

 また『先代旧事本紀』によれば、中臣氏の祖は、饒速日命に従ってヤマトにやってきたとある。

 邪馬台国北部九州論が優勢だった頃、物部氏は天皇家の尖兵になって北部九州からヤマトに乗り込んだとする説があり、有力視されていた。遠賀川(おんががわ)の下流域に、物部氏の密集地帯があり、これらの地域から、彼らはヤマトに移動したというのだ(谷川健一『白鳥伝説』集英社文庫)。

    しかし、このあと触れるように、ヤマトに集まった土器の中に、北部九州のものはほとんどない。

 北部九州勢力は、ヤマト建国に完ぺきに出遅れていたのだ。

 ならば、「ニギハヤヒがいち早くやってきた」という設定を、どう考えれば良いのだろう。

 物部氏はどこからやってきたのだろう。

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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